昼間のほとんどの時間を過ごす小学校。 

 大人の言うことは正しいと信じている子どもたち。

 小学校の教諭は、子どもをどのようにも変えることができる、と思う。

 小学校最後の2年間の担任は、それがとてもうまかった。


 そばかすだらけの頬。三角形の細い目。ショートカットの髪。

 いつもジャージ姿で、歩くとかたちのいいおしりが左右に揺れる。

 学校で最も恐れられていてプライドも高い中年の女性だった。

 

 それまでの担任は大雑把でおおらかな30代の女性で、爬虫類が好きだった。

 私たちはのびのびと、自我をぶつからせあいながら好き勝手に生活していた。

 女の子はグループをつくって嫌がらせをしあい、報復のくりかえし。

 かなり陰湿なこともしていたがお互いさま、時には仲良く遊んだりもした。

 半分は本気じゃなかったのかもしれない。そういう経験も必要だったのだと思う。

 

 5年生になって担任が決まったとき、

 彼女はそれまでの私たちを否定した。自己紹介のあとすぐに。

 それは暗に、それまでの担任を否定するような口調だった。

 私たちは少しずつ、少しずつ、彼女の望むように変わっていった。

 

 決して足をすって歩かない。教室内では黄帽をかぶらない。

 先生には(休憩時間以外は)敬語をつかう。

 放送委員がかける放送の日本語がおかしければ競って指摘する。

 髪をショートカットにしない子は嫌味を言われ続けた。

 窮屈な教室を「昼間の家」と呼ぶように言われ、私たちは素直に従った。


 忘れ物をしてきた子は、担任からだけでなく、クラスメイトからも無視される。

 寝る前に、夜中に目が覚めたら、朝学校に行く前に、かばんの中身を確かめた。

 

 今なら言えるのに。 

 

 ばかみたい。

 学校がすべてじゃないのよ。


 大人がいつも正しいわけじゃないのよ。