呼吸と身体の関係について、このブログでも文章を掲載して行く予定ですが、今月発売の月刊秘伝10月号にその一部は掲載させて頂きました。ほんのさわりの部分ですが概論的なものですので機会がございましたらぜひ読んで頂ければ幸いです。


さて、私の合気新道の本当の目的は武道による国家への奉仕にあります。今や一国家の国益のみを考える時代ではなく、世界の経済や文化はもとより地球環境を考え、世界の真の平和に向けて志を持って行く時代でありますが、その源として一国家が真の個性を発揮して世界に対話できる力を持たねばならないと思います。


また、その国家は国民の至福の為にあり、日本国民の物心共に豊かな安心の為にあると存じます。この豊かな安心を築く真の原動力は国民一人一人の力にあり、この力を発揮できる様に教育の根本を立て直す時であると私は思います。その教育に奉仕できる武道を描くことが私の志であります。


最近、子供の指導の中で、常に目的を確認しながら稽古をしようと話しておりましたら、子供が「先生、人生の目的が大切なんだよねって」って私に話しかけました。私はハッとしました。小学校5年生の子供の口から人生の目的という言葉が出てくる。子供だからではなく、立派な人としての人生を漕ぎ出しているのだと改めて襟を正す思いでした。


人生の目的とは何か?私は言葉として子供たちにその場では伝えませんでした。たとえ伝えたとしても、言葉が子供たちに力を与えるだろうか?それは分かりません。そして、私は口から出す言葉は私のものであって、全ての人の目的ではないからです。私が伝えられるものは身体を通じて身体に伝えて行く「心」のみであると思います。ですから私の人生の目的も身体で伝えられなければ意味がないのであります。


私の人生の目的は「自由であること」 それが今の私の仮の答えです。

これも人生の経験の中で変わって行くものかもしれません。

人生の目的は「自由であること」 それを実現するために必要なものは、自立する事だと私は考えます。

自立のない自由は依存であり、我ままであります。そして、依存にいよる我ままは、依存する対象に自分を縛り付けたものであり、本当は最も不自由な存在でもあります。

では、自立とは何か?


自立とは自分の行為に対するリスクを負うという事への認識なのだと私は考えます。

自分が人生の進路を、今ここで何かを選択する。その事は常に危険に対して自分が判断するという覚悟が必要です。その覚悟があって初めて自分の判断で道を選択する事が出来ます。


では、その覚悟とはどうしたら身に付けることが出来るか。

経験しかありません。子供の頃からどんな事でも自分の判断で経験を重ねて行く。

痛い思いをする。怪我をする。そうした中で成功する事もある。欲しいものを手に入れる喜びを知る。

その経験の中で、様々な情報を得る大切さや、自分の目的を達成するために他の協力が必要なことや、協力を得るために他の協力を惜しまない事。その中でみんなで、仲間で得る事の喜びや困難の経験を重ねて行き、真の仲間を得て行く事。


これはかつて当たり前の事でありました。しかし、今や当たり前ではなくなっております。

子供は遊びの中でそうした経験を重ねておりました。しかし、大人が子供の遊びを取り上げてしまいました。

怪我をさせないように、悪い仲間と付き合わないように、欲求を家に閉じ込めるようにゲームを与え、教育は与えるものを飲み込ませる。

私は違うと思います。大人が子供が怪我をしようが、悪い仲間と喧嘩をしようが、ギリギリまで受け止める器量がなくなったのです。大人を含めた環境が社会が泥だらけの子供を受け止める器を失っております。


お金が無い、暮らしがキツイ、仕事がない、政治家が悪い、官僚が良くない、それは自分が選択せず、依存する自由にしがみついている大人の姿ではないでしょうか。


大人ももう一度、子供と一緒に泥だらけになって遊んでみるのがよいと私は思います。


武道を習わせて礼儀よくさせたいと言われる事があります。

そんな時、私は礼儀は教えません。まず、子供に思う存分遊ばせます。遊んで子供が自ら身に付けたもので無ければ役立ちません。真の礼儀は命の覚悟の上にしか成り立たないからです。

私はそうお話しさせて頂いてます。


武道が現代に果たす仕事。それは命の覚悟を育てることなのだと私は思っております。