しばらく、このブログの執筆を休憩しておりましたが、新しい題材をもって本の執筆のために草稿として、このブログを活用することにした。

タイトルは「美しき日本」 テーマは「美への探求としての武道」です。合気新道は佐世保を拠点として活動するNPO法人です。武道教室を企画運営を行っております。
主に合気道の指導を行っておりますが、NPO法人名でもある合気新道は新しい武道として、現代社会に一つの武道のテーマを投げかけたいと思っておりました。
そのテーマは何かという事に様々な角度から試行錯誤するなかで、ようやく「美」という事に歩を進める決心が出来ました。
その合気新道が掲げてゆく「美」とは何か、それを本として出版することをまず近い目標として、草稿を手がけます。


千年杉


佐世保 温故知新の合気道 合気新道


熊本県は南阿蘇より高千穂方面へ行くとに草部という地域に吉見神社があります。
この神社は鳥居より石段を下り、本殿に至るという下り石段の神社。
その本殿の脇に千年杉が見事な幹と枝振りで、まさに天に向かって突き立っている。
この千年杉は草部吉見神社のご神木。大きな縄が巻かれている幹は大人が手を繋いでも5人では抱えきれないほど太い。


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千年と一口に言っても、どれほどの長さであろうか。長さというものは何かと比べる事で長短が測られる。
様々な比べる長さがあるだろう。その中で私が計れる物差しで一番身近なものは自分の生きた来た道のりだと思う。47年の長さ振り返ると様々な出来事があった。
瞬く一瞬でもあるようで、子供の頃を思い出せば遠き過去に思える。また、今という時点から1年先、10年先を思えば何がどうなるのか予想すら難しいが夢や希望は果てしない。
そうした様々な思いすら見上げれば一枝の長さにさえ飲み込まれるような、とてつもない大きな時をこの千年杉は抱いているように思う。
このとてつもない大きな幹をから緑の葉へ流れ放出される水の量は一体どれくらいであろう。幹の耳を当てると川のように水が流れる音が聞こえる。
千年も間にどれだけの水がこの道を辿って天に放出されたのだろう。私の見る事の出来る大きな幹と枝に対して、見えざる根は見える姿と同じように大地に深く広く足を伸ばし、
脈々と流れる地下水を吸い上げ続けてきたのだろう。その地下水もまた千年枯れることなく地下を流れている。その枝にどれだけ多くの鳥が羽を休めただろう。
その幹にどれだけ多く動物が身を寄せて雨風をしのいだのだろう。
多くの命と共に生きてきたであろう千年杉に手を当て、その微動に自分の呼吸を合わせてみると生命の記憶と言えるだろうか様々な響きが私の身体を通じて感情を揺さぶる。
この千年の時を顕す木を感じれば、一喜一憂する日常の一切があまりに儚い。人の観る善悪とは何とちっぽけであろうか。
生命は万物と常に一体になって時を紡ぎ、さらに今を未来へ絶え間なく息吹いている。
その姿は美しい。
美しさは強さなのだ。
強いから美しいのではない。美しいものが強いのだ。
美とは命の営みであり、命の営みを美と観るところに人の心が目指す先がある。
すなわち、美は神へ至る道である。

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