参画する稽古法
昔は稽古といえば道場の掃除、師匠のお世話、門人のお世話が前提でした。しかし、現在はものを習う場所と時間、それに対する対価を支払う事で稽古する人がお客さんになってしまっております。これでは身に付く稽古が出来ないのです。
何でもお金で権利を得る。その事を自分の心から外さねばなりません。月謝、謝礼とは昔は教えていただいたお礼という意味でした。つまり礼が先であり、権利というものは後の事でした。権利が先に来ると、欲しいものしか得ないという事が心に壁を作ります。
自分の知らない事を学ぶのですから、欲しい物という段階で既に選択する自分があり、選択するという事は知っている事しか選択できません。しかも、知っているけれど出来ない事。それを求めているのです。
知っているけど出来ないとは、本当の意味では知らないという事です。知ったつもりになっているだけで、知識や情報を自分の都合で見ているに過ぎません。食べてもいないのに味は分かりません。雑誌やテレビで見たお店で自分が気に入った所に行くようなもので、その評判や価値を最初の情報で色づけて見ているのです。実際にその店が美味しくなかったとしても、美味しいと自分で作り上げており正しい判断が出来なくなります。逆に評判通りではなく、美味しくなかったという感想を持ったとしても、それは自分の先入感にそぐわない結果を見ております。
街を歩き、ふと腹が減り、何となく入ったお店で「美味しい」と感動したものこそ、その人の体験として自分の中の味覚感を育てます。同じように道場でも、その道場全て食べてみる。この事が掃除をしたり、他の門人のお世話をしたり、師匠の手伝いをする事で得られるものであります。つまり、我が家、我が道場、我が家族として道場に参加ではなく、参画することで全てを食べる事になるのです。食べて美味しいとか不味いという判断をするのではなく、食べて消化しながら、どの様に美味しくいただけるか、その様に皆さんと楽しく頂けるか、その工夫をする事で本当の意味で自分の力、味覚を養うのです。
稽古は参加するものではなく、共に創り上げてゆく事です。それが参画するということです。つまり創造する力を養う事。積極精神を育てる事が参画する稽古と言えます。昔の主従関係のような稽古ではなく、現代社会では共に運営や活動の計画を作りながら、
その活動を共に育て上げる組織作りが重要と考えます。
