ビジョン=合気道の本質を究め、現代の社会に応える新たな合気道として、温故知新の合気道「合気新道」の道場をまず設立する事。


合宿が出来き農作業や炊事洗濯、仕事場などが出来る「合気新道村」の建設です。

これを3年後 2011426日までに建設する事を第一の目標にいたします。


私の合気新道を描き出す動機=私には故郷がありません。幼い頃からの両親の不和、離婚を通じて心の安らぎがない。常に自分は愛されてない存在であるというトラウマがありました。

このトラウマは自分の顕在意識に無意識から働きかけ、人と人との間に働きかけております。このトラウマをポジティブな意識として変換した時に、強さと普遍の愛への欲求として現われ、合気道の植芝盛平開祖の「武は愛なり」という言葉に強く惹かれ、18歳で出郷し合気道の引土道雄先生の門をくぐりました。そこから28年間継続してきたものは合気道でありました。

一方、私のトラウマがネガティブに働いたものは、人との距離でありました。どうしても自分の本音を相手に告げることが出来ない。心の距離それが私のネガティブな働きでした。



この事を深くみつめた時に私の心が何を本当は求めているのか?それに気がつきました。

それは愛であります。愛される事です。誰かにという事ではなく、永遠に変わらない、失われない、愛。言い換えれば、「心に故郷を持つ」ということです。


この「心の故郷」を思うとき、私には明確なビジョンが現れました。

それは「心の故郷」となる合気新道を生み出し、自己の存在感、価値観を見つけ出せない人が真に自分の中にある本当の「心の故郷」に出会う事です。


今、現代社会は多くの問題を抱えてます。

古い文化や伝統の消失。人と人の繋がり。自然環境。

これが日本の中でも、地域でも、目を向ければ地球という全体で大きく膨れ上がっております。

これは全部、「故郷」を失う事に繋がっていると思います。

そして、それは人間の心に「故郷」を失っているからではないかと自分の心の体験を通じて思います。

多くの戦争、多くの災害、経済的な不安、価値観の混迷、こうした出来事を生み出しているものは人間の心の不安そのものであると同時に、そうした出来事が親が子供に愛情を全力で傾ける事が出来ないと、子供は心に「愛されていない」という固定概念を生み出してしまいます。


この歴史の積み重ねが地域、国、世界の反面を生み出しているのではないでしょうか。

物や経済の豊かさと引き換えに、地域の繋がりや国の文化、自然環境の破壊が止められない現状があります。

本来ならば、物や経済の発展と同時に心の豊かさが実現されるべきであります。

しかし、世界にこれだけ物やお金が溢れているのに、この日本でさえ経済的な真の豊かささえ手に入れておりません。

まして、心の豊かさを得ているとは言いがたいものであります。


「故郷」とは場所ではありません。人間の記憶、言い換えれば概念にある「心の安らぐ場」です。故郷があるから、旅立てる。故郷があるから勇気や自信を持って戦える。

ただいま!!と元気よく帰れる場所があるでしょうか?

それに応えてくれる「お帰りなさい」と言ってくれる人があるでしょうか?


家庭や会社、地域や国、それぞれの場所があります。

しかし、それを生み出すものは自分なのです。

そのように私は体験を通じて思います。


であるならば、一人一人の心に「故郷を持つ」これが人生の大きな大きなテーマではないでしょうか。

「故郷」とは愛そのものである。

愛とは目に見えないものであるが、今ここに存在する自分に勇気や自信となって現れるものではないかと思います。

その故郷をそれぞれの心に明確に生み出す。

それが合気新道の理念です。


ここに、人と人、人と一切を結ぶ、関係を生み出す基盤を作る。

それが合気新道の仕事です。


「武は愛なり」

合気道の植芝盛平開祖が発した言葉に私は強く惹かれました。

その意味は愛を知るものは真に強いという事です。

しかし、人はその逆を歩きがちです。

強さがなければ愛はないと。

確かに強さがなければ、愛は守れません。

けれど、強さを求めていると、愛を否定する場面が生まれます。

自分さえよければ、自分さえ勝てばよいという心です。

弱肉強食、優勝劣敗。そのとおりです。


けれど、結果我々は何を失ってきたでしょう。

見渡す世界に何が見えるでしょう。


人が愛を求めるから、愛を奪う。奪い合うのではないでしょうか。

自分が自ら愛を発するなら、何を奪い奪い合う必要があるでしょうか。

自分の中に愛があってこそ、揺ぎ無い自信と勇気と知恵が生まれるのではないでしょうか。


これを「武は愛なり」という言葉で顕したのが合気道開祖でした。


私は18歳の時、閃いた言葉がありました。

合気道の門をくぐり、心に電撃のように閃いた言葉

「たった一人を愛するように、万人を愛し。万人を愛するようにたった一人を愛する」

その言葉の意味が分かりませんでした。

自分で閃きながら、自分で知ることが出来ませんでした。

今、その言葉に立ち返るとき、はっきり分かる事は、万人を愛する事とは、たった一人の自分を心から愛する事であると。


オープンマインド!

世の中には、それでもどうしようもない現実があります。

一方的に攻めてくる敵があるでしょう。


しかし、その中において勇気と自信を持って、お互いが、全てが共に勝つ道を見つけ出し、共存共栄を果たす地域づくり、国づくり、世界平和の道があるはずです。

それが「武は愛なり」と合気道に託された課題です。


その課題に応える道を顕すものが「合気新道」のテーマです。

私も全くの愚か者です。

全くの無自覚者です。

しかし「たった一人を愛するように、万人を愛し。万人を愛するようにたった一人を愛する」

という十八歳に頃に描き出した志しに常に立ち返り

オープンマインド!

全ての人の心に叫びたい、何よりも自分自身にオープンマインド!と。



合気新道のオープンマインドプログラム


合気新道は合気道から生まれた武道です。武道とは同時に武術として勝つことがテーマです。勝つことがテーマ。しかし、合気道開祖は「武は愛なり」という課題と共に共存共栄という目標を提示しました。

そして、合気道の技の中にそのプランを綿密に埋め込んだのです。

全ての技にそのプログラムがあります。

このプログラムを再び開祖の課題とテーマに沿って実現して行くことが合気新道のコンセプトです。


暗号のように、コンピューターの0 1 0 1の組み合わせの様な技の中に描き出されている言葉、意図、プランを明確な言葉や絵として表現したものが合気新道と言ってよいでしょう。


そのプログラム沢山の局面とプランがあります。

その中で、最も中心となるものが「オープンマインド」プログラムです。

すべてのプログラムはこのプログラムを基盤として応用と考えてよいでしょう。


これをワークショップ形式で身体の感覚全てを動員して体験し、実現して行く。

それが合気新道です。

心理学者ジョハリが心の四つの窓というものを表しました。

1. オープンな自己(自分も他人も知っている自己)

2. 隠している自己(自分は知っているが他人は知らない自己)

3. 自覚していない自己(他人は知っているが自分が気がついていない自己)

4. 未知の自己(自分も他人も知らない自己)


この四つの領域を広げる事で心が開かれ、すべての自分を受け入れる愛を知る事に繋がる。つまり、自己の中の愛が広がれば、それだけ強い自信と勇気を得てポジティブに生きられるようになると言う事です。


合気新道は合気道の技の中にこの4つの窓を開くために相対するプログラムを導き出しております。

1のオープンな自己=相互共同稽古プログラム=型稽古を主体とする。協力し合う稽古法

2の隠している自己=弛緩法プログラム=呼吸法・気の循環。相手と相対した緊張を取る

3自覚していない自己=対鏡プログラム=合気。率先して自分が働きかけることで相手の働きと力を感じ、自分の位置を選択する事

4の未知の自己=武は愛なり


この4つのプログラムを自分自身と門人と共に研究し研鑽し実践してゆく事が合気新道の道場プランです。


このプログラムを動かす、重要なソフトがあります。

それは守・破・離という基本プログラムです。パソコンで言えばOSにあたります。

守=基本原理 破=応用 離=活用というものを、従来は時系列で捉える傾向が教育法の主流でもありました。例えば習字で言えば、楷書、行書、草書という様に順序だてて学ぶように楷書が出来なければ行書へ、行書が出来なければ草書へと移れないというように初心者は特に考えます。しかし、実際には教授法の一つであり、本来は楷書、行書、草書が独立してあるものではなく、用途に応じて変化するものであります。

つまり、原理、応用、活用は基本の中に既に応用と活用が含まれているという事を学ぶ者、教授するものが認識し合いながら、各時のテーマに沿って教授の関係が運営されるものであると思います。

したがって、合気新道は常に稽古の中で如何に細分化しても、また拡大しても、常に原理、応用、活用という視点をもって立方体でプラグラムされます。

これをワークショップと捉えております。