できる←→できないの軸で人生を考える | 松風塾高校OBのブログ

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昨日の夜のテレビで林修先生が語っていた。
「できる⇔できない」「やりたい⇔やりたくない」の軸でマトリックスを作る。
「やりたい⇔やりたくない」という軸は実は環境に依存していることが多く、ほとんどは「偶然」だ、という。
一方、「できる⇔できない」という軸は「必然」だという。そして、やりたいことをやるよりも、やりたくなくてもできることをやった方が成功する、という。実際、若いときに、予備校の先生を頼まれたことがあった。単発的なものだったが、いずれの予備校でもスカウトが来たという。また、本の執筆を頼まれたとき、自己啓発の本を書いてくれと編集者に言われた。しかし林先生は自己啓発本は書きたいと思わなかった。だが、他人から見ると「自己啓発」的な人間に見えるんだろうなと納得して書いた。それらはいずれもベストセラーになった。ある程度有名にもなったので今度は書きたいことを書いた。趣味の本だ。ところがそれは全く売れなかった。唯一重版がされなかった本だという。
だからやりたくないことでも「できる」ことに焦点をあててやった方がうまくいく、というのだ。
改めて、彼の言うことを哲学すると、「できる」ことはその人にとって、ある種「長所」であり「存在価値」であり「優位性」であり「実績」「成果」であると思う。それはいつも実践しているので「他人」からの評価を得やすい。他人からは「~~できる人」として目に映る。
逆の視点から考えると、誰かに何かを頼むとき、なぜその人を選ぶのか?「あの人だったらできる」と評価しているから頼むのではないだろうか。その人が「やりたい」と思っているから頼む、と言うことではないと思う。「やりたい」には実績がないこともあるからだ。
ある程度年をとってくると「できること」「できないこと」がはっきりしてくる。若いうちは「やりたいこと」をやる、でもいいかもしれない。いくら失敗してもそれは本当の失敗ではなく成功に至る道筋だが、年をとってくるとそうはいかない。失敗は取り返しがつかなくなることもある。
むしろ、今までの人生とか今の自分を振り返り「できたこと」「できること」を明らかにしていく方がいいのかもしれない。