感謝ワークがきっかけで、母との関係についての思いにふける。 | ラーメンの人がノートを通して自己対話を始めた結果。

ラーメンの人がノートを通して自己対話を始めた結果。

大人になって生きづらい人生をどうにかしようと悪戦苦闘した結果、ノートで自己対話を始めたら、少しずつ生きやすい環境へと変化していったという話。

6/1から受講しているノート講座。

平日の朝6時から感謝ワークをするんですが、
私、3日しかリアタイで参加していません(笑´∀`)ヶラヶラ

 



ちなみに、この講座に参加するにあたって、

「朝、起きれる自信がないので、

リアタイでほとんど参加できないと思います」
と表明していますので。
あ、決してやる気がないわけではなく。


単に、早起きは苦手というのと、

同居している父の気配を感じずにやりたい・・・というのがあって。
(20時以降は私だけの時間を満喫出来るんでね・・・)
その日の夜にアーカイブを見ながらやるというのをしています。

昨日の感謝ワークのテーマが、

「身近な人3人に対して、5個ずつ感謝する」

でした。

 

私が選んだのは、

めっちゃ好きな人と父と母。

個人的に、めっちゃ好きな人と父に対しては、

過去に10個の感謝を書くと言うのを2回やっていて。

母に対しては一度もやっていませんでした。

 

やらなかったのは、

もう10年前に亡くなってしまったんで・・・

というのが一番の理由ですかね。
時間がそこで止まってしまっていて、

やはりどうしても動いているものに意識が行ってしまうのでしょう。

 

あ。

今回の内容は「家族仲が良い」という方は読まないことをおすすめします|ω-`)ショボーン

 

 

さて。

母への感謝を書いたときに、

正直、5個あげるのがスムーズにいかなかったんですよね。
正確に言うと、4個はすぐ書けたんですけど、

5個目がなかなか出てこなかったんです。

しかも感謝の内容が、

どれも一般的な母親像に対しての感謝というか。

私の母だからこその感謝というんですかね、

そういうのが全く出てこない。

 

最後にひねり出した5個目の感謝なんて、

私が完璧主義になった原因に関連する感謝になってしまって・・

なんか納得がいかないε=(‐ω‐;;)

 

母が亡くなってずいぶん経つので、

記憶が風化したのか・・・とも思うんですけど。

 

たぶん、そうじゃない。

私は母に対してずっと怒っている

のだと思います。

 

 

母の末期ガンが発覚する直前、

私は、母に対して「縁を切ってくれ」と言い放ったんです。

 

10年以上前の記憶だから、詳細を事細かに覚えていないんですけど。

 

それまでずっと母から期待に応えるとか望みに応えるということを求められており、

多分、ものすごくフラストレーションが溜まっていて。

 

そんなときに、母から「老後の面倒を見てもらうために(私を)産んだ」

みたいなことを言われたんですよね。

 

たぶん、母も町医者に行っているのに身体がどんどん悪くなっていたりだとか、

不仲な父と一緒に暮らさなければいけないという、

不安や恐怖やストレスなどがごちゃまぜになっていて、

精神的に普通じゃなかったんだと思います。

そのせいで、母は私に異常なくらいに甘えてくるようになっていて。

 

私もそういう母の異常さを感じ取っていたために、

いつも以上に母の言動に敏感になっていて・・・

さっきの発言で一気に噴き出してしまったのだと思います。

 

 

私の性格が、

しっかりしなければいけないという、

所謂、完璧主義っぽくなってしまったのは、

母の教育方針と言っても過言ではなくて。

 

一人っ子だからちゃんと育てようという考えがあったからだと思うんですが、

それが私の性質と合っていなかったために、

生きづらい状況になってしまったんですけど(´`)=3

 

つまり、

母のご機嫌を取りながら私の人生の選択をしなければいけない息苦しさ。

 

加えて、両親の不仲のストレスもあって。

 

物心ついたときから、両親はよくケンカをしていたんですね。

私は母からしょっちゅう父の愚痴を聞かされていました。

 

子ども心ながら、

父は人の話を聞かないし、酒を飲むと余計にめんどくさくなるので、

父に大いに問題があるとは思っていましたが。

 

やっぱり、両親の不仲って子ども的にはかなりストレスだと思うんですよね。

私の記憶の中に、両親が仲良くしていた姿なんてありません。
(二人とも外面は良くしなければと思っていたので、

良い夫婦を演じていたw)

 

実家を出てたまに帰った時も、

絶対、ケンカしている姿を見なければいけなかったので、

私にとって帰ることがとてつもなくストレスでした。
だから、あまり帰るということはしませんでした。

 

 

(今回は母の話なので、父の話は詳しく書きませんけども・・・。)

 

 

まぁ、そんな背景があり。

私は母に対して、

そんなに嫌ならどんな手を使っても離婚しろよ

ってずっと思っていました。
(そう、私のようにwwwww)

 

私のためを思ってなのか、

世間体を考えてなのか、

父が離婚を認めなかったからなのか・・・

(父に言ったけど、了承してもらえなかったとは言っていた)


結局、母は離婚を選ばずに、

父との同居のストレスに耐えた結果、

腎臓ガンになってしまったんですね。

父に甘えたくないからと一人で痛みに耐え、

(当時、私は転勤で関西在住)

気付いたときはステージ4だったんです。

 

 

母に縁を切ってくれと言ったものの、

母の末期ガンが発覚し、

それから私の生活も一変してしまって。

 

私は「母のために生きる自分」で母の最期を迎えたんです。

 

母は私を一人にする(私も父と不仲だったから)ことを心配していて、

半ば無理矢理婚約し、母を安心させられる状況を整えたりだとか。

母が亡くなる前日に、花嫁姿を病院まで見せに行ったりだとか。

これがそのときの写真だけど、ストレスで激やせしてました()´д`()ゲッソリ・・・

 

 

母のために頑張った良い娘を演じれたとは思います。

母に対しては色々と残せたと思われる一方で、
私には何も残らなかったんですよね。

 

 

縁を切ってくれと言って、その後、謝ろうだなんて思わなかったし。

母が亡くなってから、「あのとき〇〇しておけばよかった」なんて後悔も一つもない。

 

 

・・・と長くなってしまいましたが。
 

私は、母のことを嫌いとは言わないけれど、

好きではないです。


だから、正直、母に対する感謝ワークをしていて、

4個も出せたことに驚いています。

でも、やっぱり、私の母限定の感謝は出てこなくて、

一般的な、道徳的な感謝だな・・・って。

 

昔だったら、そんな私はダメだとか思ったのかもしれませんけど。

今はそっかー・・・みたいな、ニュートラルな受け止め方に変わっているかなと思います。

 

 

私が最終的にはしっかり者でいることを自ら選んだのだけれど。

 

やっぱり私が私で生きられなかったし、

私の存在は、老後の保険的な発言をされたことに対して怒っているのかなぁ・・・?

という感じです。

 

 

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