とんこつラーメンを作ろうとして頑張っていたけれど、ポンコツラーメンしか作れない。 | ラーメンの人がノートを通して自己対話を始めた結果。

ラーメンの人がノートを通して自己対話を始めた結果。

幼少期からラーメンと共に育った人が、大人になって生きづらい人生をどうにかしようと悪戦苦闘した結果、ノートで自己対話を始めたら、少しずつ生きやすい環境へと変化していったという話。

完璧主義の気がある人は、どうやら・・・

 

自分に対するハードルが高すぎる

というのがあるんだとか。

 

 

私はずっと・・・

 

例えるなら

 

「とんこつラーメンを作ろうとして必死に頑張っていたけれど、

 

私はどんなに頑張ってもポンコツラーメンしか作れない」

 

という人でした。

 

もちろん、ポンコツだということは自分で気づいていたんですが、

 

認めたくありませんでした。

 

なぜなら、しっかり者でなければならないのに、

 

それを認めることは今までの自分を否定することになる訳で。

自分の存在が脅かされると言うこと。

 

自己肯定感が低くても、自分の存在を否定は出来ないという、

 

なんかよく分からない状況なのです・・・(´□`川)

 

 

そして、母親の存在も影響していて。

 

しっかり者でいなければ、母親に認めてもらえないと思っていたから。

 

なんとしても、他人から見た自分は、

 

よく見せなければいけないし、

 

しっかりしていなければならない。

 

他人からそう見えるような自分をずっと作り続けていたんですよね。

 

 

さらに。

 

自分で自分のことをしっかり者だと思うために、

 

あれはあの人より出来るとか思って優越感に浸ったり。

 

 

自分、ポンコツすぎ・・・(´□`川)ゝヵ゛-ン

 

 

ポンコツだから、他人と比較して優越感に浸ることで、

 

なんとかしっかり者を保てていると思うしかなかったんだと思います。。。

 

 

そして、万が一、ポンコツが他人に知られたりなんかしたら・・・

 

今まで気付いてきたワタシという虚像が崩れ去ってしまい・・・

 

恐怖でしかない・・・(((=ω=)))ブルブル

 

 

あれが出来ないとダメ、これが出来ないとダメ

 

つまり、

 

自分に対するない

 

にフォーカスするクセがあるんですよね。
 

そういう考え方が、自分に対するハードルを上げている原因なんですよね。

 

 

当然、そのハードルの高さは、

 

自分に出来るものでないから、こなせるものではなく。

 

結果、自己嫌悪に陥り、自己否定に繋がるという悪循環。

 

自分いじめ(*´-ω-`)・・・フゥ

 

 

もういい加減、自分を偽ることをやめないといけない時期に来たわけです。

 

自分の素をさらけ出して、

 

ポンコツな部分も他人に見せて、

 

ラクに生きるという選択をしていこうと思うのです。

 

 

今まで気付いていたのに、止められなかったのは・・・

 

しっかり者でいることでのメリットがあったから。

 

それは、

 

上の人たちから可愛がってもらえたり、良くしてもらえたという経験があった

 

からなんですよね・・・。

 

 

私は、自己肯定感が低い人間なので、

 

そうやって他人から認めてもらうことで、

 

自己肯定感を満たすということをしてきたのです。

 

 

だから、しっかり者を見せるということを止められなかったんですよね。

 

母親の教えが根本にはあるんですが、

 

結局は、しっかり者でいることのメリットをいっぱい知ってしまい、

 

自分でそうあることを選んでしまったのです。

 

 

だから、何かと自分のことより、他人のことを優先しがちで。

 

他人のために頑張りすぎちゃうというのが多かったなと気付きました。

 

”他人のため”になるので、必然的にハードルが高めに設定してしまいますし・・・。

 

でも、しっかり者でいなければならないから、必死に頑張るのです。

 

だから、しんどいんですよね・・・(´・ω・`)