「制限をなくす」という視点で考えてみる。 | ラーメンの人がノートを通して自己対話を始めた結果。

ラーメンの人がノートを通して自己対話を始めた結果。

大人になって生きづらい人生をどうにかしようと悪戦苦闘した結果、ノートで自己対話を始めたら、少しずつ生きやすい環境へと変化していったという話。

前回は、

 

 

本当に”絶対的な条件”なのか、

それとも、

”偽りの条件”なのか

を見極めて、制限をなくしていくという視点も必要という考察でしたが。

 

そもそも、制限って分かりやすく考えるとなんでしょう・・・

と思ったんですけどね。

 

 

例えば、ティッシュケース。

うちにはこれみたいなのがあるんですが・・・

 

画像はニトリさんからお借りしました・・・。

 

 

最早、ティッシュケースではなくなっております(笑)

 

部屋中、色んな所に移動させてティッシュを使うようになってしまい、

このタイプだと重さもあるし、かさばるしで使いづらいのです。

 

軽いティッシュケースに変えて、

この子は用済みということにはなったんですけど・・・。

 

お得意のフリマアプリに出品した所で、

送料がかかるタイプなので売れる見込みもないですし・・・

捨てるにしても、壊れたりとかではないのでもったいないですし。

 

とか色々考えた結果。

私の場合は、箱型は小物入れとして使えると思い、

寝床の脇に置いて、

リモコンや充電器やそういったものを入れる箱にしてしまいました。

 

 

「制限」って、単純に考えるとそういうものかなと思ったのです。

もし、「ティッシュケース使用限定」とかいう条件があったら、

ティッシュケースでしかないですが。

 

その条件を無効にし、

ティッシュケース以外にも可能性を持たせると、

小物入れになるだろうし、

ティッシュ以外にも、ビニール袋を取り出すケースとして使えるかもしれない。

 

 

例えが良いのか悪いのか微妙な所ですが(笑)

 

要は、凝り固まった頭を柔軟に使ってみて、

その条件を無効にし、選択肢を広げてみる・・・

という所でしょうか。

 

「シカクいアタマをマルくする」的な発想ですね。

 

なので。

条件に関してはまず、

 

常識や名称、今までの知識や経験、

自分が関わった人の話や本、ニュースなどの情報

そのようなものを疑いもなく受け入れ、

自分のモノとして取り込んでしまったものではないのか?

 

加えて、

願いや夢を叶えるためのルートとして独自に設定した

不必要な条件ではないのか?

 

あとは、自分の性格などによる

完璧主義によるもの

プライドによるもの

つまり、変な意地を張っていないか?

 

ということも考慮していった方がいいのではないかと。

 

よくよく考えてみると、

自分が勝手に設けた条件による制限

というものが結構あると思います・・・。

 

 

今日の脳内ミュージック

 

 

ジャズとヘビメタの融合。

カタチに拘らないってことで。