穏やかなる日常 | フーテンの無職 〜無職の大将放浪記〜

フーテンの無職 〜無職の大将放浪記〜

日本社会のレールから外れて、気の向くまま風の向くままプラプラと、あてどもなく彷徨う。そんな刹那的な人生を邁進中。


人生、酒と旅と本があれば、それで良い・・・



 すっかりご無沙汰しております。約、1年半ぶりの記事更新。現在は静岡県の富士山のお膝元で生活している。

 前回の旅から帰国後は生活面で色々あって、一度は新天地を求めて、車に生活用具を積み込んで九州まで旅立つも結局うまく行かず、なんだかんだで三たび静岡に戻ることとなった。どうやら私は静岡とはよほど相性が良いらしい。九州に向かったハズなのに、蓋を開けてみるとまるで逆方向の関東方面に落ち着いている。事実は小説よりも摩訶不思議なのだ。


















 私は過去に静岡県浜松市で2度、約2年間暮らしていたが、ここ富士宮市は8年ぐらい前に青春18切符で富士山本宮浅間大社に立ち寄ったぐらいで、あとはもっぱら車窓に映る富士山をときおり眺めるだけだった。まさか自分が富士山の目の前で生活することになるとは、当時の自分には想像もつかなかった。人生って本当に何が起こるかわからないものですね。

















 なので、さっそく休日に約8年ぶりに富士山本宮浅間大社に立ち寄ってみたのだが、果たして何の感慨も湧かなかった。ただひとつ、当時、富士山の伏流水が水源である湧玉池がとても印象に残っていたのだが、今回見てみると「まあ、こんなもんだよな」と、ひどく無感動なのが妙にザンネンである。「思い出は美化される」というのも、なんだかとてもイヤラシイ話ではあるが。


 ちなみに、この富士山本宮浅間大社の御祭神は「木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)」である。「この花咲くや姫」なんて、どストライクな萌え系の名前をつけるあたり、ニホンジンのオタク文化の血筋は千数百年前の古事記時代には既に出来上がっていたらしい。個人的には天照大神よりも好きな女神サマだ。

 もし私が結婚してムスメができたら、絶対「サクヤ」と名付けていただろう。まあ、その楽しみは来世までとっておくことにしよう。現世で結婚して子供作って家庭を築くなんてことは、もはやほとんど無理ゲーである。





 当時、わざわざ電車を乗り継いでまで富士山本宮浅間大社に立ち寄ったのは、私が特に神社巡りを趣味にするヒトだったからだ。だって、神社は日本文化に深く根差した、日本独自の由緒ある建造物ですからね。

 私は仏教が好きだし、海外では仏閣に足繁く通ったりもするが、日本ではナマグサ坊主の蔓延るお寺にはまったく足を運ぶ気がしない。私は日本の歴史が好きだし、日本史のなかでもとりわけ好きなのは戦国武将なら武田信玄や上杉謙信、幕末なら山岡鉄舟と、みんな仏教を深く重んじる人物揃いだ。これは私が東南アジアに行き、仏教に深く関心を持つようになるより遙か以前に尊敬していた人物たちである。

 私が好きになる日本史に登場する人物は、なぜか仏教を重んじている人物が多い。それも私が東南アジアを通して仏教に心惹かれた理由のひとつなのかもしれない。






















 神社巡りは、もう行きたい場所はだいたい行き尽くした感があったが、富士山の近くには他にも三嶋大社があって、せっかくなのでここにも足を運んでみた。これまで関東方面に行く機会がほとんどなかったので、三嶋大社は気になりつつもなかなか足を運べなかったのだ。

 せっかく静岡にいるのだし、今年のゴールデンウィークは伊豆半島でも車中泊をしながら回ってみようか。東京に行くテもあるけど、アキバはもう飽きたし、上野の国立西洋美術館は当面の間は休館だ。となると、東京に出ても行く所はほとんどないのである。

 …待てよ、新大久保はちょっと興味があるぞ。あそこは外国人が特に多いというし、このコロナのご時世、海外旅行などとてもまともに出来やしないのだし、異国情緒を味わうためにもこの機に一度行ってみるのも面白いかもしれない。ついでに谷中の全生庵にも立ち寄って、数年ぶりに山岡鉄舟の墓参りといこうか。それもなんだか悪くないプランだ。













 今回はこれまでと違ってクルマを持ち込んでいるので、行動範囲や休日の選択肢はこの上なく広がっている。まあクルマはガソリン代や維持費が高いのでお金は余計にかかってしまうが。それとやはり運転をするので、これまでのように外出先でサケを楽しむことができないのがネックだ。なので今回はこうしてノンアルコールでガマンすることになる。

 だが最近ではノンアル独自のうまさに気付いてしまい、それはそれで結構ハッピーなひとときを過ごせるのだ。オールフリーもうまいが、最近ではこのドライゼロが密かなマイブームとなっている。こいつをグビリとやりながらドライブする休日の朝はまさに至福のひとときだ。













 もう4月に入り、ポカポカ陽気でだんだんと春らしくなってきた。ささやかな旅行気分を味わうべく、今日は道の駅「富士川楽座」に行ってみた。ここは高速からでも下道からでもどちらでも入れる道の駅だ。富士山が目の前にあるという立地もあってか立ち寄る人も多く、施設も色々とあってかなり賑やかなサービスエリアだ。週末とあってかフリーマーケットも出ていて、まるで縁日のような賑わいを見せている。





 ここはご当地グルメの出店も多いので、その中でもひときわ美味そうなこの「天然きのこ汁」をひとつ堪能してみることにした。大きい器で1杯300円。この土地で獲れる天然きのこがたっぷりと入った逸品で、これがまた山椒がピリリと効いていて実にうまかった。

 みそ汁に山椒がこれほどまでに合うとは意外だ。一緒に頼んだ「わさびコロッケ(180円)」もしみじみとうまい。注文したら、この店の奥さんがミカンを1個オマケしてくれた。こうなるとゴハンも欲しくなってくる。ここは絶対にいつかまた来よう。今度はゴハンも注文して、そいつを頬張りつつこのきのこ汁を啜ってやるのだ。









 外の出店のほかにも、楽座内には各種フードコートもあり、みやげ物も充実している。展望ラウンジにある小洒落たカフェからは、富士山やその周辺の街並みが悠々と見渡せる。なんともパーフェクトな道の駅である。これであとは展望付きの風呂でもあればもはや道の駅としては言うことなし。ああ、でも外には観覧車があるから、そんなモノがあると観覧車から丸見えになってしまうのか。













 展望ラウンジでは、ご当地アニメである「ゆるキャン」のパネル展が開かれていた。ここ静岡も作品の舞台になっているのだろう。作品内でたまたま舞台として登場したのか、それともいわゆるアニメの「聖地巡礼」の恩恵をアテにして、それ前提での町おこし用の作品なのだろうか? …どうも後者のような気がするが。

 でも自分の日常的な生活環境がアニメ作品として出てきたら、それはなんとなく嬉しいような気もする。特に地方住まいの人たちにとっては。マンガもドラマもアニメも、やたらと東京が舞台になるので都会住まいにとっては何とも思わないだろうけれど。まあ47ある都道府県のうち、人口の10人に1人は東京に住んでいるわけで、やはり東京を舞台にするのはご当地効果を狙っている部分もあるのかもしれない。






















 道の駅を出た後は、その近郊にある岩本山公園へ。ここは静岡屈指の花見のスポットとも言われているが、やはり来るのが少し遅かったようだ。桜は多くがもう散りかけ、葉桜となりかけている木が目立つ。ここの所は週末になると天候が崩れることが多く、日曜日に至ってはもう何週間もピンポイントで雨である。どうも太平洋側にしてはこの富士山周辺の地域は天候が不安定なようだ。しかし、それでも園内は多くの人混みで溢れ、ささやかな花見を楽しんでいるカップルや家族連れが多かった。













 私もサケこそ呑めないものの、周囲が賑わっている中で一人ささやかに桜を愛でて愉しむ。やはり桜があってもなくても、自然の中は開放感に満ちていて良いものだ。やはり広々とした森林公園に来ると心の底からホッとする。普段が無機質な機械音に満ちた工場の中にいるので、ただ緑があって小鳥のさえずりが聞こえてくるだけでシアワセを感じる。























 そしてあたたかな陽射しとゆったりとした自然のなかで、公園のベンチに腰をかけてゆっくりと本のページを捲っていく。これはもう私にとっては王道中の王道とも言える休日の過ごし方なのだ。予め事前に図書館に行って、おもしろそうな本を数冊借り込んでおいた。それというのも今日という日のためである。真っ青な青空の下で、自然の中の開放感に満たされつつ活字の世界に没入していく。これは本を読むには最高のシチュエーションだ。私にはこういうひと時こそ、まさに人生のご馳走なのである。






 借りてきた本は、やっぱり旅の本が多い。コロナが世界的に蔓延した今の世の中、果たして再びこれまでのように気軽に海外旅行ができるようになる日は来るのだろうか? それにしても、まさか世の中がこんな状態になるとは。コロナもそうだが、今のミャンマーの情勢だってそうだ。民主化以降、やっと世界にその門戸を広げようとしていた矢先であったというのに。

 ヤンゴンもバゴーもマンダレーも、今ではもはや血の海となりつつある。この時代にあって、軍はどうしてこんな前時代的な行為に平気で及べるのだろうか。これではヒトラーやポルポト時代の再来ではないか。おそらく軍の裏には中共が深く絡んでいるのだろうが、世界のゴタゴタには大抵、ロシアや中共が絡んでいるものだ。日本も含めて、国連もまったくの無力であることには大いに失望させられる。ウイグル問題ですらそうなのだから、どうせそうなるだろうと思っていたら案の定。

 ミャンマーがシリアのように内戦化するのも時間の問題で、そうなるといよいよ手をつけられなくなる。というより、もうその兆しは見えている。国民がいつまでも3本指掲げて撃ち殺されるに任せているワケがないし、軍兵士や警官の離反も多い。そして軍の行為は日を増すごとに過激なまでにエスカレート。彼らがそのうち武装して反撃に出るのは火を見るよりも明らかではないか。ロシアや中共はやはり軍を支援しているらしく、欧米のミャンマー国軍への制裁措置を牽制しているという。まったく、ロシアも中国も結局はいつもこうなのだ。このままミャンマーは大国の傀儡として食い潰されていくのだろうか。

 ほんの1年半前にはまだミャンマーをのんびりと旅できていたというのに。コロナとはまったく別の事情からもミャンマーには当面は行けなくなるかもしれない。カネもなければウイルスも蔓延するし、世界情勢だって思わぬ方向に傾きはじめる。しばらくは過去の旅でも振り返りながら自分を慰めるしかないだろう。





















 他には休日の楽しみといえば、付近に数件あるイオンに行ってブラブラと店内を散策することくらいである。しかし、この辺りではイオンよりもドンキホーテの方が主流らしい。富士宮のイオンにはリンガーハットがあったので、長崎ちゃんぽんを大盛りでワシワシと平らげる。大盛り無料が目玉商品だったのに、なんとこれからは有料となってしまうという。…ガーン、である。そうなるともうコレを食う機会はほとんどなさそうだ。






 私は同じラーメンなら、リンガーハットよりも断然、スガキヤ派である。だって東海地方といえばスガキヤでしょう!   たったの330円でラーメンが食えるこのヨロコビ。スガキヤでは私は常にこの330円のラーメン一択だ。まことスバヤク注文する。このラーメンに、スガキヤ特製のコショウを「これでもか!」というほどに振りかけて喰うのがうまいのだ。コショウはかつては金と同等の価値で取引された究極の調味料である。こいつをスガキヤ独自のスプーンフォークで食べるのがまたうまい。





 どうやら今年はスガキヤ創業75周年ということで、なんとラーメン330円割引券を配布してくれた。つまりはスガキヤラーメン1杯がまるまる無料という、トンデモな太っ腹企画なのだ。他の外食チェーン店もマジで見習って欲しいものである。

 しかし、終戦直後の1946年創業とは、スガキヤがそんなに深い歴史を誇っているとはまったく知らなかった。どうやらあの看板娘のスーちゃんを少々侮っていたようである。単なるコドモっぽいラクガキ娘としか思わなかった自分がナサケナイ。スーちゃんよ、今まで本当に済まなかった。






 食べ物談義でもうひとつ。私の週末の楽しみは、なにもスガキヤラーメンに留まらず、大好物の松屋で牛丼の並盛りをツユダクで食するという味わい方もある。だって松屋は牛丼の並盛りが味噌汁付きで320円ですよ!? このコストパフォーマンスの素晴らしさ。牛丼にこれまたトウガラシを「これでもか!」というほど振りかけて、紅ショーガも遠慮なくタップリといただく。牛めしと味噌汁のこのシアワセ。人はたったの320円で、人生を生きることの喜びを感じることができるのだ。





 そして時には回転寿司に入ることもある。中でもスシローは贔屓にしている回転寿司屋だが、この日に行ったスシローはなぜかいつもより遥かにショボく感じた。スシローは週末ともなれば、もうどの時間帯に行っても常に行列をなしている人気店だが、なぜか以前食べていたものとは比較にならないほど旨くないのだ。チェーン店なら、基本的にはどこでも同じモノが出てくると思うのだが。。





 まずはネタがひどく小さく、第一にシャリがまったく握れておらずパラパラで、箸でつまもうとするとすぐにシャリが崩壊してしまって、まともにスシとして食えたものではない。なので私は4皿ほど口にしたあとはすぐに出てしまった。イカ、タコ、えんがわ、マグロでしめて440円。もうヤケクソになってガリばかり食べていたら、口の中がガリ一色になってしまってさらにトホホな状態に。・・まあ、ときにはこういう失敗もある。今度は「はま寿司」にでもトライしてみようか。

 しかし、1皿110円とはいえ、普段から松屋やスガキヤを食べている身としては、やはりスシは回転寿司といえども少々割高に思えてしまう。まあ行く頻度が圧倒的に少ないのだから、たまには気分転換に良いのだけれど。


















 現在、私が住んでいる寮は見晴らしが良く、遠巻きに水平線が見わたせる。室内には洗面台とベッドがあるのみで、テレビや冷蔵庫、または机といった家具はまるで無い。これではまるで囚人室そのもので、とても文化的な生活は送れそうにない。ただ、唯一ベランダからの眺めが良いのが慰めだ。まあ、寮費や水道光熱費が無料なのだからあまり贅沢なことは言えないが。










 せっかくなので、部屋の押し入れにある棚を利用して、ささやかな仏壇をこさえてみた。と言っても、タイで買い込んだプラクルアンや、インドで買った仏像などを、単に適当に並べただけのシンプルなものだが。同じくインドで買ったラクシュミの絵も飾ってある。これはインパールに立ち寄った際、ディワリ祭の最中で見かけた屋台で買ったものだ。ラクシュミも、タイのナーンクワック同様、富と豊穣の女神であるから、少しでも我が身にささやかなるご利益を…という、なんともセツジツな願いである。

 私の現在の資金状況は、正直言ってかなり切迫している。下手をすると、その辺の学生よりも貯金がナイ。我ながらこんな状況にまで陥るとは甚だあっぱれなことであるが、やはり名誉挽回、起死回生のためにはネコの手も借りたいわけですよ。毎朝、仏壇にちゃんと手を合わせてから日々の活動を開始している。





 そんな仏像たちのなかでも、特にタイでよく見かけるこのSCBのマスコットを入手できたのが密かにウレシイ。基本的にはキャンペーン用の非売品のようで、またタイ人もこのマスコットを仏像同様に祀ってもいるので入手は半ば諦めていたのだが、バンコクのパンティッププラザで、偶然、ショーウィンドウに並べられているのを見つけたのだ。念のためダメもとで買えるかどうか尋ねてみると、なんと300バーツで売ってくれるという。このバンコクの街角の風景にも馴染みのあるマスコットだけに、向こうの気が変わらないうちに言い値で即買いしてしまった。

 こうして部屋に飾っていると、部屋の中にタイの空気が溢れてくるような気がしてとてもお気に入りである。





 タイといえば、私は現在このトムヤムヌードルにすっかりハマっている。カップ麺のタイプは、イオンのカルディなら1個150円ほどで買えるが、この袋麺のタイプは5食で260円と格安なので、週末になると業務スーパーに行って買い溜めしている。自炊は出来ないが、この袋麺はチキンラーメンと同じタイプで、丼にお湯を入れて3分待つだけでOKだから重宝している。

 タイではクイティアオに次いでほぼ毎日のように食べていた味だけに、あらためて日本で毎日のように食べていても飽きがこない。まさしく、私は今タイに飢えているのである。





 タイのトムヤムの他にも、同じくベトナムのフォーの袋麺もあったのでこれも買い込んできた。トムヤムの酸味と辛味も良いが、私はこのフォーも大好きだ。ちゃんとパクチーも付いているので、一口啜ると口の中にベトナムが広がってくる。ただ残念なのは、ここに現地の調味料を使って味付けができない点だ。ここにあのペースト状の激辛スパイスをタップリと入れて、付け合わせにハーブ類なども投入できると良いのだが。






















 こんな感じで日々を過ごし、そして夜はベランダに出て、夜景を見ながらビールの小瓶などをチビチビとやるのがささやかな日課となっている。まあ、なんだかんだで色々とあったが、ここにきて漸く日本での暮らしが少しずつ落ち着きを見せはじめている。とは言っても所詮は非正規雇用だし、いつまでこうしていられるのかも分からないが。


 まあ、とりあえずは今後2、3年は旅はお預けで、日本での暮らしがメインになりそうだ。コツコツと働いて多少の資金をつくり、コロナ事情も緩和されて海外旅行が一般的にも解禁になれば、大型連休のときにタイやフィリピン、台湾などをちょこちょこと訪れることぐらいは出来るかもしれない。先はまだまだ長いが、今はとにかく貯蓄メインでいかないと日本での生活すらままならないのだ。

 そうして働きつつ、前回のミャンマーやインドでの旅を綴ったり、過去の旅を振り返ったりしながら日々を過ごしていきたいと思っている。もちろん、その間に本もたくさん読みたいし、他に何か別の道でも見つかれば、その道に向けてコツコツと励んでみたいとも思う。とにかく色々とキビシイ状況ではあるが、日常の中にあるささやかなヨロコビを大切にしつつ、なんとかこの窮地を脱していきたいものである。