ルクセンブルクを一晩で退散した私は、鉄道にてここベルギーの首都ブリュッセルへとやってきた。高速鉄道はさすがに速く、ルクセンブルクからたったの2時間でブリュッセル北駅へと到着した。
時刻は午前11時。今日こそはあたたかいベッドの上で人目を気にせず寝ようと思い、駅に着くとさっそく目当てにしていた安宿へと直行する。安宿の名は「ローコスト・ベッド・ポイント・ビー」。その名の通り低価格でカプセルホテルのような半個室ドミトリーに泊まれるとのことで、期待に胸を膨らませてやってきたのだった。
レセプションの感じも良く、案内された部屋もパッと見はなかなかのものであった。1泊24ユーロ、3200円と首都ブリュッセルでは安価でしかも半個室である。これはいいと思い気前よく3泊することにした。しかし、これが失敗の元だった。
ベッドのある室内にはライトやコンセント、足元には荷物棚もある。これはいい。だがよく見るとベッドや枕、シーツなど至る所にダニや南京虫が徘徊している。ブリュッセルよ、お前もか・・・。なんと、そこはミャンマー以来のトンデモナイ虫部屋だったのである。私のブリュッセル滞在はこうして南京虫とのデスマッチと共に幕を開けたのであった。
宿のクオリティには正直失望させられたが、それでも今晩寝るところを探さなくてもよいのは実に気楽である。バックパックから解放されて空身で歩けるこの気安さ、身軽さ。野宿を続けているとこんな単純なことにも大きなヨロコビを感じる。少なくとも宿にはトイレがあるし、シャワーだっていつでも浴びることが可能なのだ。
そんな満ち足りた気分でブリュッセルの街並みの中を歩いていると、突然大きな教会に出くわした。聖カトリーヌ教会である。久方ぶりにみる立派な教会の様にしばし見惚れ、近くのベンチに腰掛けてパンとビールで人心地つくことにした。
教会前はちょっとした広場になっており、そこでは多くの人々がベンチや地べたに座り込んで団欒のひと時を過ごしている。まだ日の高い日中であるが、缶ビール片手に新聞を読んだり談笑している者も少なくない。若いお姉さんが教会の入り口に腰掛けてウィスキーのコーク割りをちびちびと楽しんでいる。ここは紛れもなくヨーロッパの文化なのだ。
教会の中に入ると外の喧騒は遮断され、ひんやりとした静寂の中に包まれた。この神秘的な静けさがなんとも心地いい。しんと静まり返った教会の中にいると、自然と自分との対話が始まるのだ。椅子に座ってじっと佇んでいる人もいれば、教会の片隅で跪き懺悔している人もいる。皆それぞれの人生の中で内なる神との対話を重ねているのだ。
私はこのグラン・プラスに足を踏み入れた瞬間にもうすっかり心を奪われてしまった。今までにもパリのセーヌ川やローマ、ヴェネチア、バルセロナのサグラダ・ファミリアなどヨーロッパ有数の名所や建築群を目にしてきたが、未だ嘗てこのグラン・プラスほど心を震わせるものはなかった。
それは単にその見事な美しさばかりが理由ではない。そこには私がずっと探し求めてきたあるひとつの彫刻の姿を見出したからでもある。
今から10年以上前、ある時インターネットでヨーロッパの紀行について書かれた文章をあちこちのサイトで読みあさっていた。そんな時ふと、自分の感性に合う素晴らしい文章を書くサイトに巡り合ったのである。そこにはヨーロッパへの強い想いと共に筆者の過去の旅の回想も綴られていた。それを読んだ時に「ああ、自分もこんな風に全身でヨーロッパを感じてみたい」と心底憧れたものである。
そしてそこには挿絵のようにいくつかの写真が貼られており、その中のひとつにこの婦人像の彫刻の写真があったのである。そこに貼られていた画像は小さく、また解像度もよくなかったが、この煌びやかな彫刻の写真を見て私は思わず唸りを上げると共に、その彫刻から強くヨーロッパの印象を刻み込まれたのであった。そしてその日から「一目でいいからこの彫刻をこの目で見てみたい」と強く憧れを抱くようになったのである。
しかしその写真には注釈もなにも入っておらず、一体どこの写真なのか皆目見当もつかない。文章にはフランス、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、オーストリアなど西欧諸国の国々が書き連ねてあるが、特定は不可能だった。もしかするとそれ以外の国である可能性もあるのだ。なので特定はできないまでも、時折そのサイトにアクセスしてはその写真や文章を眺め返し、その都度ヨーロッパへの強い羨望を抱くのであった。
それから間もなく私はフランスへと旅立ち、その後ヨーロッパ各国を旅する機会に恵まれる。西はポルトガルからスペイン、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア、旧ユーゴスラヴィア圏、ルーマニア、ブルガリア、ウクライナ等々の国々を訪れ、そしてその度に教会や歴史建築群などに足を運び、かつて憧れたあの彫刻の姿を探し求めたのである。しかしその姿はどこにも見当たらなかった。当然といえば当然の話だが、それでも「もしかしたら・・」と、僅かな期待を込めて訪れる先々でその彫刻の姿を追い求め続けてきたのである。
ここ数年はすっかり旅の舞台をアジアに移し、ヨーロッパへはここ4年ほど行くことは無かったが、それでもこの彫刻への憧れは変わらなかった。しかし今ではもう探そうとは思わずに、憧れは憧れのままに取っておこうという思いの方が強かった。なのでもうその像のことはキレイに頭から切り離していたのである。そんな矢先、ふと訪れることになったこのブリュッセルはグラン・プラスで、予てよりずっと憧れを抱き続けてきた彫刻を目の当たりにすることとなったのであった。
その彫刻のあるグラン・プラス市庁舎は取り立てて高名な彫刻家が掘ったとか、確かに世界遺産として歴史ある建築物ではあるが、その彫像ひとつひとつに人の目を惹きつける魅力が備わっているとは言えないかもしれない。それらは他人の目からみれば何の変哲もないただの彫刻に過ぎないのだ。しかし私にはこうした経緯や特別な思い入れもあって、この彫刻の婦人像はミロのヴィーナス以上に私には価値ある存在なのである。
ここグラン・プラスに来てからというもの、ブリュッセル滞在の大半はこの広場で過ごすことがそれからの日課になった。どうしてもこの広場から立ち去り難かったのだ。私はもうこの広場に来ただけでブリュッセルに満足してしまったと言ってもいい。あの当時よりヨーロッパにずっと憧れを抱き続けてきた私にとっては、まさにグラン・プラスは「世界一美しい広場」に思えたのである。そして10年以上も探し続けてきた彫刻を偶然にもこの広場で見つけたのだ。私はグラン・プラスに日がな一日腰掛けてはビールを飲み、これまでの10年間のことを静かに思い巡らしたりしていた。
そうしてグラン・プラスに腰かけながら、時折辺りの人を眺め渡してみる。アジアにいた頃は中国人や韓国人、タイ人、ミャンマー人にベトナム人など大抵は一目で見分けることが出来たが、ヨーロッパに来るとそうはいかない。こうして視界に入る人の姿をみても全く見分けがつかないのだ。アジアでは微妙な顔立ちの違いやメイク、ファッションなどで容易に判別ができたのだが・・。
欧米人なら私がアジアでしていたように、その微妙な違いから何国の人々か簡単に見分けがつくのだろうか? やはりアジアと欧米の文化圏とではその価値観、価値基準に大きな隔たりがあるように思える。私がアジアにいた時の旅の物差しが、ここヨーロッパではまるで通用しないことを身をもって感じるのだ。
それにしても、欧米の子供はアジアの子供たちに比べるとおしなべて大人びて見える。小さい頃から顔立ちが彫り深いのに加えてファッションまでもが大人びているのだ。欧米では日本と違って早期に子供たちに自立を促すというが、こと外見上においても大人のそれに合わせているように思える。アジアの子供の場合は全体的に可愛らしいファッションを好む傾向があるが、欧米では逆に年齢以上にませた格好を好んで着ているようだ。この辺の価値観もアジアと欧米では大きく異なっているようである。
そんな大人びて見える子供たちでも、ひとたび笑うと実に子供らしい無邪気な表情を浮かべるから「ああやっぱりまだコドモなんだな」と幾分ホッとした気持ちになる。やはりヨーロッパに来るともうラオスやネパールのように子供たちと触れ合うことはなくなるのでそこは寂しい限りだが、時折こうしてヨーロッパの子供たちを眺めてはアジアの子たちとの違いを静かに見比べてみようと思っている。
そしてアジア人と欧米人とで大きく異なる点はそのプロポーションの差にもある。もちろんアジアと欧米、アフリカとではそれぞれ美的感覚が異なるので一概に良し悪しは言えないが、つまりはまあこれは個人的嗜好、ということになりますね。
欧米人も色々なので時にはトンデモ体系の横綱のような「ボン・ボボン・ボン!」のお方もおられるが、中にはこのようにもうまこと見事な「ボン・キュッ・ボン‼︎」の見本市のようなお方もおられるわけですよ。いやあ、これは実に目の保養になります。
それにしても本当に見事なヒップである。これは個人的には120点満点と言わざるを得ないだろう。一体何を食べたらこのようなオシリの形になるのだろうか? うーむ、皆目見当もつかない。しかし、これだけはハッキリと言える。この魅惑のオシリはそれ相当の意思と努力の結晶の賜物である、と。
「男は背中で語るが、女は尻で語る」
私は常々そう考えている。尻にはオンナの人生が如実にあらわれているのだ。一本芯があって自信と躍動をもって己の人生を歩んでいるオンナの尻はキュッと形よく締まってリズミカルに左右に揺れている。一方でだらしなく生きるオンナの尻はべちゃっとこれまただらしなく垂れ下がり、ユッサユッサと音程の外れた揺れ方をするのだ。
この見事なプロポーションとオシリでしかも美人であったら最強である。天は時には人に二物も三物も与えるのだ。まったくそんな見事なレディーを目の当たりにして私はすっかりココロを持っていかれてしまった。世界一美しい広場には世界一美しい美女もいるのだ。こうして私はすっかりグラン・プラスの美しさに釘付けとなってしまったのであった。
小便小僧のジュリアン氏である。なんでこんなものがベルギー名物になってしまったのか甚だ見当もつかない。グラン・プラスの美しさとこの小便小僧とがどうにも釣り合わないのだ。この小便小僧は世界三大ガッカリ名物として有名だが、この像を前にした人々は思いのほか喜んでハイテンションになっていた。ガッカリも極めると逆に称賛されるのだろうか?
そのせいかどうかは知らないが、ベルギーの土産物屋を覗くと見事にこの小便小僧一色だ。国を表すシンボルとしてこんな小便小僧がセレクトされてしまった国は不幸である。もっと他にこう、何かマシなものっていくらでもあると思うのだが・・・。しかし悲しい事に、どこを見渡してもこのジュリアン氏が土産物の約80%を締めているのだった。
そして実はあまり知られてはいないが、この小便小僧の他にも小便少女というものがここブリュッセルには存在している。その名もジャンネケさん。こちらはジュリアン氏とは違って路地裏にひっそりと佇み、しかも鉄格子までかけられている始末である。もちろん土産物にも一切登場しない。どうやらブリュッセル市民はこの像を見なかったことにしたいようだ。
ブリュッセルの街歩きは思っていた以上に楽しかった。一国の首都ともなればどうしてもコンクリートジャングルを連想してしまうが、そこは歴史の生きるヨーロッパ。道路脇から建物の装飾、お店の看板にいたるまで丁寧に細かく手が加えられており、それを見る者を飽きさせない。こうした街づくりをなぜ日本は見習わないのだろうか?
ベルギー名物といえばワッフルにチョコレートであるが、酒飲みオトナの私は生憎甘いものはニガテである。だが辺りを見回してみると女性陣は嬉々としてこのワッフルに群がっては記念写真を撮り、とてもうまそうに舌鼓を打っている。ベルギーといえば他にもフリッツ(フライドポテト)発祥の地でもあるので、私もそんな彼女たちに負けじと一所懸命フライドポテトを頬張るのだった。
・・・うほッ! これはなんとまさかのコスプレナースではないか! エッチな白衣の天使は男の究極のロマンである。先ほどのグラン・プラスにいたオシリ120%のお姉さんなどに是非とも身につけてもらいたい一品だ。
それにしてもパッと見はとても煌びやかなこのショーウィンドウであるが、そこに置かれているものはなかなかエグいものばかりである。手錠に擽り具など所謂、アブノーマルというやつですね。しかしまったく低俗ないやらしさを感じさせないのがヨーロッパのニクいところだ。こんな風に上品な並べ方をしたら、お部屋のアンティークとしても十分にその機能を発揮しそうである。そんなわけないか。
そうやって基本的にはグラン・プラスを軸にして軽く街歩きを楽しんでは、再びグラン・プラスに戻ってゆったりとした人心地を味わう、ということをブリュッセル滞在中にずっと繰り返していた。ブリュッセル滞在中に他にしたことといえば、王宮博物館の中を覗いたぐらいである。
私は決して美術品や芸術品に明るいタチではないが、それらを眺めるのは割と好きな方である。なので国内にいる時でも、しばしば美術館や博物館の特別展などをチェックしては興味をそそられた場合に遠出したりもするのだ。
ベルギーでも有名な画家といえばルーベンスである。童話「フランダースの犬」でネロ少年がパトラッシュと共に最後に見たかった絵が教会に飾られたルーベンスの絵画であり、それはベルギー北部のアントワープの街に今も存在している。
しかし私はルーベンスもフランダースの犬も全く興味がないので、その他の風景画や街並みの描写をもっぱら眺めていた。こうした美術作品を見ていて楽しいのは、想像力を刺激されてその額縁の外の風景描写まで想像して脳裏に浮かべる楽しみがあることである。
こうした風景画にインスピレーションを得て、この道の先は一体どうなっているのかとか、この家の中はどんな状況なのだろうかとか、そこにいる人々や動物たちの背景を考えてみたりとか、実際の作品そのものよりもその作品の枠を超えた部分を想像しては楽しむのである。それなら絵に対する特別な知識も必要ないし、あれこれ想像して楽しむので同じ絵をいつまでも眺めていても飽きることがない。
またそうした想像をしなくても目を惹きつけられる秀れた作品も多く存在する。作品のタイトルやテーマには英語表記が無いのでもう完全に主観で想像するしかないのだが、それが楽しいのである。こうした作品群はそれを見る者のそれまでの価値観や人生観によって、絶えずその姿形を変えるのだ。例え同じ作品であっても、それを見る者の年齢や状況などによってその都度見え方が違ってくる。作品を見る者が100万人いれば、100万通りの捉え方が生まれるのもこうした作品群を眺める愉しさである。
そして私が今回、この王宮博物館に足を運ぶキッカケとなったのがこのミュシャの「La Nature」という作品である。日本のオタク文化はアニメやマンガのみならず、こうした海外の芸術作品までをもフィギュア化してしまうのだが、このミュシャの作品は私もそのフィギュアを買ってしまうほどにその作品の美しさに魅了されてしまったのだ。その作品の現物がここブリュッセルの王宮博物館にあるというのだから、これはもう行かないわけにはいかないではないか。
うーむ、美しい・・・。歴史的価値ある作品としては些か弱いのかもしれないが、私はもうこのオリジナルを目に出来ただけで満足である。ミュシャのこの作品はどの方向から見ても完全なる美をそこに見出すことができるのだ。
私以外の欧米人たちは不思議とこの作品を無視していくが、何故だろう? まあ確かに彼等にしてみればごくありふれた美人像なのかもしれないが・・・。だが欧米では彫像なんぞよりも生身の彫刻がそこかしこに歩いているのだから無理もないだろう。なので私は心ゆくまでこの作品を独り占めしてじっくりたっぷりと堪能したのであった。
そして、他の美術作品を想像して楽しむ時と同様、この美人像がナースキャップを被っている様を、そっと脳裏に思い浮かべてみるのだった・・・。






































































