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doubleace66のブログ

牧師の家庭で生まれ育ったクリスチャン2世です。
13歳の頃、自殺を決意したが、神様と劇的に出会い、生涯献身する事を誓い、今日に至っています。
様々なキリスト教の課題や日頃思った事などを気ままに綴っていきたいと思います。
よろしくお願いします。

罪の呪い


おはようございます。今日も頑張りましょう!

先週に引き続き、性に関してお伝えしていければと思います。

お恥ずかしながら、今日は私の夫婦生活を証していきたいと思います。

私の妻は、実は処女ではありません。
流されやすい性格で、大学の時に何人かと経験があるという事でした。

告白をする前に彼女からこの事を伝えられました。

私は、悩みましたが、主に祈り、自分自身も同様の罪人であり、赦された存在である事を思い起こし、彼女と付き合う事、結婚する事を決めました。

新婚旅行の時にも改めて、その事の話をし、祈り合い、赦しました。

結婚してから1年半経ちましたが、一生大事にし、幸せにしようと、最善の努力をし続けました。

妻にもそれが伝わり、いまだに、毎日楽しくて幸せ!と言ってくれています。

周りからも理想の夫婦と見られ、未婚の青年達も相談によく来ます。



しかし、時々ふと、妻の昔の男の事が頭に浮かび、煮え切らない思いになる事があります。

私が夫婦の交わりを誘って断られた時には、なんで他の男と付き合っていた時にも断らなかったのか!とひそかに腹を立てる事があります。

妻にはそんな素振りは一切見せていません。

妻の過去を二人で祈り合い、赦しましたし、責めた事は一度もありません。

心が何度も傷付けられますが、その度に主の十字架の苦しみ、赦しに立ち返る事が出来ます。

妻も苦しんでいます。
妻は付き合った当初から、私に捨てられる事をずっと恐れています。

つい最近も、「私なんかと結婚してくれてありがとう。」と言われました。

しかし、どれだけお互いを好きで、愛し合っていたとしても、赦し合い、赦されたとしても、モヤモヤが残り、傷付き、苦しみます。

これが罪なのです。
これが罪の結果、もたらされた呪いなのです。


処女でない人、童貞でない人が幸せを求めてはいけないとか、幸せになれないとか言うつもりはありません。むしろ、求めて良いのです。

しかし、パートナーが一つになろうと努力をする時、また、本気で愛し合おうとする時、必ず傷付く事になりますし、同じ条件であれば処女・童貞の方が間違いなく幸せです。

今、処女・童貞であるならば、全力で守って下さい。

周りの目や評価、今いる彼氏・彼女、友達、地位や立場、これら全てを失っても構いません。しかし、処女・童貞だけは守って下さい。

それが幸せへの道です。
一番大切な人を傷付けず、失わずに済む道です。

今既に、処女・童貞ではないならば、必ずパートナーに告白し、祈り合い、赦し合いましょう。

私は何度も傷付き、苦しみましたが、いつも、あの時赦したという事実に帰る事が出来、リセットされて、再び愛し、赦す事が出来ます。

もし、適当に誤魔化されて、あの時の涙ながらの祈りが無かったとしたら・・・恐ろしい事です。考えたくもありません。

処女・童貞でない事を告白して、別れるのであれば、その方が良いと思います。

後で一生傷付き、苦しむよりかは、その時傷付いて別れた方が100倍ましです。



私は傷付き苦しんでいますが、後悔はしていません。
また、いろいろと書きましたが、それは、ホントにわずかな一部分だけで、それ以外では、本当に楽しく幸せで、このパートナーを愛して本当に良かったと思っています。

罪がもたらす呪いは深く、広く、長く人を、苦しめ、関係を破壊しようとするその力は大きいですが、それ以上に深く大きな愛が私たちを包み込み、慰めてくれます。

神様が引き合わせて下さったパートナーであれば、どんな相手であっても愛し合い、幸せになる事が出来ます。

しかし、処女・童貞が最も最高のパートナーである事に間違いありませんので、結婚まで守るべきであるともう一度強く主張させて頂きます。



かなり感情的となってしまった面がありましたが、ご了承下さい。



それでは、失礼します。