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doubleace66のブログ

牧師の家庭で生まれ育ったクリスチャン2世です。
13歳の頃、自殺を決意したが、神様と劇的に出会い、生涯献身する事を誓い、今日に至っています。
様々なキリスト教の課題や日頃思った事などを気ままに綴っていきたいと思います。
よろしくお願いします。

クリスチャン男性に魅力がない理由



クリスチャンの婚活市場において、よく聞かれますのが、クリスチャン男性の少なさもそうですが、それ以上に魅力あるクリスチャン男性がいないという声なのではないでしょうか?

仮に、ただ単にクリスチャン男性が少ないというだけであれば、良い歳したクリスチャン男性は全て既婚者となるはずです。

ところが、これだけ女性が多く、男性が少ない中でクリスチャン男性は余っているのです。


私の周りのクリスチャンの友人も、出会いはたくさんあるのに、お付き合いや結婚には至らないと嘆く声がチラホラ聞こえてきます。

それに対してのアドバイスは、
積極性がないからいけないんだ。
もっと祈ってみれば?
などが多いように感じます。

しかし、それは、あまりにも漠然として無責任なアドバイスだと私は感じています。

なぜ、これだけ市場に男が少なくて、かつ教会だとかキャンプだとか結婚相談所だとか積極的な出会いの場がありながら、男が売れ残る(失礼な発言で申し訳ございません)のか、なぜ、クリスチャン男性は魅力がないと言われてしまうのか、きちんと分析して考えなければいけません。

特に、国の少子高齢化が進む中で、その先をいっている教会こそが、この問題に本気で取り組まなければなりません。


この世的で申し訳ありませんが、女性が男性に対して魅力を感じる場合、経済力と社会的立ち位置、そして、人間力が挙げられると考えます。

失礼を承知して申しますが、クリスチャン人口が1%を切る今の日本の社会の中で、クリスチャンになるというのは、普通の人ではありません。

浮世離れした人、もしくは、この世に不満や疑問を持たれた人、生まれつきマイノリティーの世界に生きている人(クリスチャンホーム)がやはり多くを占めているように感じます。

そういう人たちは、「非この世」、「反この世」「無この世」に生きています。

この世の常識から外れた人たちとも言えるかもしれません。

すると、現代社会ではあまり中心的になれず、活躍が出来ません。

この世の評価ではなく、神様からの評価を求めるようになり、努力を怠る傾向にあります。

そうした姿や姿勢は、女性から見て魅力に感じません。

やはり会社で活躍され、社会から評価される人はかっこいいのです。

経済面、社会的立場において、私たちクリスチャン男性は今ひとつこの世の男性に勝てないのです。(もちろん、地の塩、世の光として、ごく一部の方はこの世の男性よりも活躍されていらっしゃいます。そういう方は即売れます)。

しかし、この経済力や社会的地位を今すぐ付け焼き刃で持つということは不可能です。

では、すぐにでもやれる事は何でしょうか?


それが、人間力を磨くという事になります。

人間力は二つに分けられます。
霊的成熟と肉的成熟です。

霊的成熟に関しては、様々な本やセミナーがあります。教会もかなり積極的に教えてくれるので、今回は取り上げません。

肉的成熟とは、要するに「大人」になるという事です。

社会的常識を身に付け、謙遜で周りに配慮する事が出来る事。
相手の気持ちを思いやれ、人を敬い、優しく柔和である事。
冷静に善悪の判断が出来、自分で責任を持って決断する事。

こういった肉的要素が熟する事を大人であると私は思います。

教会や牧師はこういった事を教えてくれません。

もちろん、普通の人は、こういった要素は社会に生きる中で身に付いていくものです。

しかし、先程述べたように、売れ残るクリスチャン男性は、クリスチャンでは無い方に比べて努力を怠る傾向にあります。

私がその最たるものです。

ただ、神様の憐れみにより今の奥さんに出会う事が出来、変わる努力をする事が出来るようになってきたというだけです。

だからこそ、お伝えしたいのは、ちょっとした意識の改革なのです。

ある程度の常識を身に付け、女性への気配りが出来るようになる。
これだけで、女性にとって魅力ある男性への一歩が踏み出せます。

この具体的な行動の仕方をお伝えするセミナーだとか、本だとかがキリスト教では欠如してしまっている。

この事が、婚活市場において、男性が少ないにも関わらず売れ残る不思議な現象の原因なのです。

では、具体的にどうしていけば良いのか?

長くなったのでまた別の記事に書きたいと思います。


少し、取り留めのない内容となった事、また、失礼な発言の多々、お詫び申しあげます。



それでは、失礼します。