60年代の初頭、原宿から表参道を眺めると何と見晴らしのいいことか。
信号の見える辺りが明治通りの交差点。
ここは70年代半ばまで商業街ではなかった。洋服屋さんもなく、喫茶店が数軒、
民家や同潤会アパートがあるくらいで、平日の午後には行き交う人などわずかだった。
60年代には交差点にセントラルアパートができたが、当時はまだ閑散としていて、
賑わいだしたのは70年代後半からだ。
60年代のはじめに舗装で片側3車線の道路は非常に珍しかった。
現在の代々木体育館辺りあった米軍のワシントンハイツは
63年に返還されているので、都心と米軍接収地を結ぶルートとして
早くから整備されたのだろうか。
60年代の若者たちはこの広く交通量の少なかった表参道の坂を利用して
おもしろい遊びをしたという。青山通りの交差点からクルマのエンジンを切り、
ギアをニュートラルに入れ、明治通りの交差点までを惰性で下るレースだ。
レースに勝つためにクルマの装備品やスペアタイヤまで取り外して参加した強者もいたそうだ。
さて、今日の都内は渋滞が酷く、クルマの運転が苦痛で仕方がなかった。
今ほど生活は豊かではないが、写真のような60年代当時の道路の景色を眺めていると、
とても贅沢な感じがして羨ましくなる。