ワンツーワンツー…
アロー。お久しぶり、ミーです。
きみの凱旋にあわせて朝、冷たい雨が降った日曜日。TOKIOから、お届け。
こんな雨じゃ、またきみは来ないじゃないか。ちぇっ…。
あまり、読後感想みたいなものを記すことはしないのだけど、なんとなく節子の思いに共感できる気がしたので、軽くメモ程度に。
結局は節子の独りよがりな恋愛ごっこだったのは読者側から見たら明らかで。
不倫相手の土屋から見たら、なんて滑稽だったろうと思うと切ない。
毅然としてるつもりなのも、ミエミエだったんじゃなかろうかと。
そして、恋愛において男が悠長なのは、
・女に気がない。が、まあ、嫌いじゃない。
・女の考えてることがわかるから、なにも焦ることはない。もがく女を見て楽しむか。
・こういうパターンの恋愛も、経験しておくに越したことはない。
…こんな気持ちがあると思う。
いわば、『まぁ、どうなってもいいや』レベルの相手に見られたわけだ。
だけど、女は心底惚れてしまう。
そんな、空気をつかむような相手だからなおさら。
旅行後、彼女はますますのめり込んでしまう。
(そう、セックスによって、それまでとそれ以後の男女の気持ちに差が生じていくのは仕方のない事実ではあるけれど。)
土屋は情人と割りきっていた。
節子もそうあれば、平和に続いていたかもしれない。
けれど、そうしなかったのは、やはり恋のせい。
しかも片恋の。蟻地獄。
恐ろしいわ、恋は。
なにもかも失うこともあるのだから。
憐れ節子はもう死ぬしかない、とわたしは思い読み続けたが、冷たい土屋の協力(!)もあって、無事に(世間にも、夫にもバレることなく)別れられた。
が、やはり気持ちは土屋から離れられない。
そして節子は、土屋に手紙を書く。未練の、手紙。
書いて、破り捨てたところで物語は終わる。
…出す当てのない手紙(メール)、わたしは何度書いたことか。
独りよがりの自己陶酔型。
わたしと節子の共通点だ。
いちばん ハッとさせられた箇所を挙げる。
『ただ盲目であるときはまだ救われ易い。本当に危険なのは、われわれが自分の盲目を意識しはじめて、それを楯に使いだす場合である。節子の考えは、この日頃、すべてじぶんの盲目を前提にして動いていた。自分は恋をしており、そのために盲目であって、…その結果、何ものにも目をつぶる権利があるのだ、という風に。』
きみに対して『三回戦』を決めたわたしは、盲目に対して開き直ってしまっている。
わたしは恋をしている。
もはや病気なのだ。
キチ害なのだ。
きみでなくては。
きみでなくては。
我が身に降り注ぐどんな不幸も、すべてはわたしが恋の蟻地獄にはまったせいなのだ。
そうね、この考えが危険というのだったね。