前回の記事には、意外にもコメントをいただきありがとうございました。
童話は童話。作品世界をそのまま味わえば良い。
読む時はそうなんですが、好きなものって、いろいろ語りたくなっちゃうんですよね…。

人魚姫 その3のテーマは、

恋愛のリアル
恋愛にアドバンテージはあるか?
です。


もし、人魚姫が、声を失わず、王子を本当に助けたのは自分だと王子に伝えられたら、王子と結ばれたのに。
大抵の人はそう思うと思うし、作者もそれを見込んで、姫から声を取り上げたのでしょう。

ほんとか?
ほんとにそうか?

確かに、物語の中の王子は、「命を助けてくれた人」に恋をした設定にされている。

危機にさらされた時に自分を救ってくれた人がきれいな娘だったらば、確かにその人の価値は何倍も素敵な人に見えるでしょう。

その意味では、王子が事実を知ったら、人魚姫も、浜に倒れていた王子を助けた王女も、同等にチャンスがあるかも?

人魚姫はとても美しい娘と描写されてる。
それに対して、王女の容姿については、人魚姫に似ている、と、王子は言っているから、きれいな人なのだろうな、と思われるけど、あまり印象がない。
でも、修道女だと王子が信じたくらい、慎ましく優しい娘さんで、もしかしたら、浜で見つけた彼を献身的に介抱していた可能性はある。

人魚姫が海に身を投じて、姿を消したあと、王子と一緒に、心配そうに海を見ている王女の描写からも、同じ若い娘として姫の気持ちを理解できる、思いやりのある女性だろう、ということが伝わってくる。
そんな王女だから、人魚姫は彼女を恋敵として恨む様子もない。
たぶん、読者も、王女に反感は買わないでしょう?

美しい人魚姫は、余計なことも言わず、ただ、王子をきれいな瞳でみつめる可愛い存在。妹のような、ペットのような、そばにいて当たり前の、恋愛対象としては少しもの足りない。

人が何かを欲する時は、支障になるものがある方が気持ちは燃える。
「神の花嫁として、修道院から出ることもない娘」と、今、すでに自分の手の中にいる娘。
ほしくなるのは、どっち?

運命があるとしたら、王女は、お后になる運命だった。
人魚姫の恋心がどんなに強くても、「あの人でなければ結婚しない。あの人でないなら、お前を選ぶよ」と姫に言った王子の言葉に、嘘はなかった。


ヒヨコが生まれて初めて見た、動くものを、親鳥だと認識するように、王子の中で、助けてくれた人=好きになってしまう、だとしたら、彼を助けたのが、修道院で勉強中のイケメンの王子であったら、どうだったろう?
姫に勝ち目があったか?

わからない。姫はお后になれても、王子の心には、逞しい若者への思慕が秘められていたかも。

王子を助けたのが、相当年上の年配の王女であったら?
やっぱりわからない。若い王子が年上の女性をマリア様のように求めたかも。

恋は時として理不尽で、理屈では割り切れない。人の好みなんて、当人にしかわからないのだ。どんなに恋い焦がれて、自分のすべてをかけても、思いが叶うとは限らない。
それでも、誰かを好きになる気持ちは止められないし、想いが叶うかもしれない、と夢見る時の胸の高鳴りは、誰にも奪えない。

「小さい人魚姫」は、美しくて優しくて悲しい物語ではあるけど、辛くても、苦くても、自分の恋の結果を受け入れた人魚姫の潔さ、好きだなあ、って思うのだ。





マコちゃんは、人魚姫だけど、人間界に来ても、声は失わないし、行動的な現代っ子。
これまた大好きな作品なので、いずれまた書こうと思います(なかなかたどり着かない(笑))。