就活の面接で
「文学部(あるいは国語国文科)なんて、ウチの仕事とまったく関係がないんじゃないの?」
という刺激的な問いをしかけてくる面接官がいた。どの企業にもいた。
「医者における『医学部』、歯医者における「歯学部」、法律家における『法学部』、以外、職業訓練として機能する大学の学問なんてない。現象から一般性を合理的な手つきで抽出し、それを説得力ある表現で伝えるのが人間の社会活動の根本である以上、その帰納力、演繹力、表現力などなどがあればいい。そのf(x)さえ構築できていれば、具体的な仕事(x1)を変数として関数に放り込むだけだから、現場で学べばいい。大事なのは学問を通して自分なりのチューンナップされた関数f(x)を身に着けているかどうか。その構築を最も訓練されているのは、教官の数に対して学生数の少ない(≒サボれない)旧帝大の文学部であるわけだから、むしろ、文学部がもっとも企業戦士として羽ばたく基礎体力を身に着けていると考えていい」
と答えたて凌ぎきった。もちろん、最大限の敬語と笑顔で下手(したて)に出るわけだが。
それでもへこたれず、
「国文学がうちの◯◯(コンピューター製造販売とか特殊鋼生産とか化学繊維生産とかが入る)に関係あるとは思えないんだよな」
というようなことを聞いてくる面接官もいた。
「メーカーなら必ず顧客がいる。商品と顧客をつなげるのがメーカーにおける文系社員の仕事だろう。市場は潜在的顧客を含む集団に違いないが、その潜在的顧客を暴き出すために何をしないといけないのか。それは市場の選好分析から始まる。平安時代の宮中の女御や更衣など女官たちの間で熱狂的に源氏物語は回し読まれた。源氏は女官というセグメント化された市場に評価されたわけだ。井原西鶴の作品は、漢籍や軍記物や和歌など基礎的な教養に立脚したダジャレのような表現が随所に嵌めこまれている。元禄期の市場はそれを面白がれる教養の強度があったわけだ。島尾敏雄の『死の棘』は夫の不貞を機に妻の気が触れた夫婦の日々を克明に私小説風に描いた作品だが、昭和50年頃、広く読まれた。救いのない狂者と罪人の日々が延々と続く暗い小説がなぜ感動とともに受け入れられたのか。1970年代に不倫の末の煉獄的な物語が受け入れられる土壌が育ったのは一億層中流や核家族化と関係があるのか。かくの如く、マーケットと文学作品は密接につながっている。一心同体と言っていい。我々はつねにテキストを通して数十年前から一千年前のマーケットを見ようとしてきた。同時代のリアルのマーケットを分析するのに何の苦労があろうか」
そう、いつだって島尾が助けてくれたのだ。
やがてある出版社に就職し、来る日も来る日難解な批評やよくわからないポストモダンな純文学にまみれた。
私のような弱い人間は、つねに逃げる。
来る日も来る日も意味不明の状況から、精神の均衡を保つべく、伝奇小説を引っ張りだして読んだ。
そもそも、中学時代に子母澤寛の『新編座頭市』で時代小説を読み始め、吉川英治、柴田錬三郎、五味康祐、池波正太郎、山田風太郎、早乙女貢あたりを猛然と読んだ。
で、来る日も来る日も純文学という毎日の中で、隆慶一郎を読み始めた。久々の伝奇時代小説である。焼けぼっくいに火が付いた。
純文学に負けない、いやむしろ何ゲーム差もつけて引き離して独走しているくらいの高みにある「文体」で小説が紡がれている、そういう小説を書いていたのが、五味康祐だった。
禁断の未完の長編『柳生武芸帳』に手を出した。
五味康祐の魅力は、圧倒的な文章力にある。柴田錬三郎が三田派の重鎮として名伯楽化していた時、若手作家は、高輪の柴田邸を訪れ、雑誌掲載前の原稿を柴錬先生に読ませたという。柴錬先生は原稿にさらさらと赤字を入れてブラッシュアップしてやった。若手の原稿はその赤字修正バージョンで雑誌掲載され、芥川賞に輝いたという。
その柴錬先生が、「五味には叶わない」「五味は本物の教養に裏打ちされた文章を書く」と言っていたという。
(固有の)「文体」を獲得するというのが、文章修行・作家修行のすべてであった時代に、五味康祐は屹立した文体を獲得していた。時代小説でありながら、芥川賞を受賞したのはその文体の芸術性の故である。
「喪神」「秘剣」「柳生連也斎」といった短編が硬質な名文で描かれているのは、ぎりぎり理解できるにせよ、長編でそのようなことが可能なのか。全力疾走でマラソンを走る的な困難さを想起してしまう。
五味康祐はジョギングもできた。『二人の武蔵』や「一刀斎は背番号6」などは、肩肘張らぬ呼吸の文章で書かれた作品である。
この空前の傑作『柳生武芸帳』がジョギングなのか全力疾走なのか。
そのようなことを頭に、純文学に疲れ果てて半ば逃避として読み始めたが、そうとう全力疾走に近い文章だった。逃避先がまた修行場だった、という感じか。
そういう呼吸で長編を書ききれるはずもなく、未完となってしまうが、それでも十分に歴史に残る傑作である。
主人公である忍者の名前に力が入っていないのが唯一の不満。
