世の中には、存在が当たり前すぎてその有り難さが普段の暮らしの流れの中では、自身には実感できないものが多々ある。

たとえば今日で言えば、「学校(幼稚園・保育園・小中高大)」、「病院(診療所)、保健所」、その他にも「電気・ガス・上下水道」・「舗装道路」「高速道路」、「橋」、「公共交通機関」、「消防署」、「警察」などなどの社会制度に基づくモノと従事するヒトがある。

この他に自然環境と資源がある。生存にかかわる清浄な空気や水。その装置でもある川や湖や海も山林や草原もある。それらの中には、心の安らぎにかかわる植生や景観もある。そこには、それを持続的に保存するための仕事を担うヒトがいる。

そして、忘れてはならないのが、食物である。食物の食材は「農業」と「漁業」と根底には「林業」の存在もあり、それらによって人々のいのちの源が支えられている。

  人類は、長らく飢えからの脱出はどの地でも人々の悲願だった。食べ物は、在って当然のモノではなかったのだ。しかし、20世紀に生産力が格段に進歩し、21世紀に入って、飢えの恐怖から解き放たれたように思い込んでいるが・・・。自身は、社会共通資本の中に、食物生産を担う「農林水産業」のモノとヒト(家族経営農家)を位置づける必要があると思う。

 

これらは、失われたときに初めてその大切さを自覚できるものなのかもしれない。

 

 3・11の大震災と福島第一原発爆発事故が7年前にあった。

 大津波に飲み込まれて壊滅させられた町々の生活の仕組みと家々の暮らしと避難できずに失われた生命は甚大であった。

 原発の爆発により、目に見えないし、臭いもしないが、人体に有害な放射能物質による深刻な汚染は、風に乗り飛散した福島の地域の人々を避難させ、人気の無い街に一晩で陥れてしまった。悪夢の如き信じがたい光景だが、それは現実の出来事であった。

 

これからも予期できなかったどんな出来事が起こるかもしれない。また、危惧されている事態が発生するかもしれない。

 

 自身が考える優先的な社会共通資本は、制度としての“教育”と“医療”そして、“食物生産

である。人間の生存と生活を健全に守り、一人ひとりの人間の尊厳を維持するために、そこに何よりも優先的に配慮していく必要があると思う。

 人口減少時代に踏み込んできた日本で、いまだに高度成長だとか、リニア新幹線建設とか騒いでいる人たちの感覚と倫理性の劣化が明らかになっていて、かなり深刻な心配な事態が生じている。まさにそのような人々の存在こそ★日本の国難★と言ってもいいのではなかろうか。