今年もあと二週間足らずとなった。まだ、何があるかわからないが、メディアは大相撲のことをまだ厭きもせずに時間を割いて報じている。TVで、何週間も報じ続けるほどの重大事件なのだろうか?その間に多くの国民が不審に思い、詳細を知りたい森友・加計問題には一向に時間をとった報道がないのは何故なのだろうか?この腑に落ちない疑問は心に引っかかったままである。為政者の縁故主義が民主主義に勝る国に落ちぶれるとは夢にも思わなかった。

 

  “無常”とは、仏教で、この世の中の一切のものは常に生滅流転 (しょうめつるてん) して、永遠不変のものはないということ。つまり、「万物は流転す」という観想で、常住不変に対して無常転変の意味だという。

 

他の辞書では、・・・・

 

 因縁または縁起ということで,すべての存在は因縁和合の一時的存在なので,常恒不変ではない。したがって人なり物なりに執着しても,それは変化消滅するものなので,失望するだけである。これを諸行無常といい、人と物への執着から解脱すれば心の安楽が得られるという悟りのことだという。。

 

もう1つの解説は・・・・

 

 「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる心的傾向を根強く持っているとされ、「無常」「無常観」は、中世以来長い間に培ってきた日本人の美意識の特徴の一つだという。

 

まあ、“無常”という言葉が思い浮かぶということは、自身がはかなさや無力感を感じたということだ。こんなことが罷り通ってしまうのかという失望と憤りを伴った呆(あき)れにも似た気分だ。

 

 しかし「諸行無常」である。このまま無事にいくこともあるまいという気持が“無常”という言葉を思い出させたのだと思う。

 為政者は、無上の我が世の春での“常住”を望むし願うのかもしれないが、★無情★な治世は長く続かないほうが世の庶民の幸せに通じるのは確かだと思う。