結論から記すと、ゴリラは猿よりも人間に近いらしい。霊長類学の進歩で、ゲノム(染色体の組み合わせ)分析により、ゴリラやオランウータンやチンパンジーはヒト科の類人猿に属するのだ。ゴリラやオランウータンやチンパンジーと人間は、ほぼ99%近い一緒で、ヒト科ホミニディ(Hominidae)と呼ばれるそうです。

 

 では、ヒト科類人猿とサルの行動の違いは、何かというとサルは、常に相手と自分のどっちが強いのかを認知していて、弱いサルは強いサルに媚びるつまり敵意のないことを表明する表情を示すそうだ。でも、もっと強いサルが現われたら、助けを求めて、追い払ってもらうこともするし、そのスキに餌をせしめるというような猿知恵をはたらかすそうだ。

 

 ところが、類人猿(ゴリラやオランウータンやチンパンジー)は違うという。力の強い優位な立ち場の者が弱い者たちに分け前を取ることを許してやるというのだ。これは、人間の食事でも見られる光景なのだが、絶対サルにはできない光景だという。

 

また、学問の知見によると、350万年前の人類の脳容量はゴリラと変わらなかった。当時の生活集団は10~30人らしい。200万年前になると脳容量は600ccとなり、50人くらいの手段生活だったらしい。60万年前になると脳容量は1500ccとなり、ここで脳の成長は現代人と同じになっているそうだ。集団規模は150人くらいらしい。

 

 この集団規模が興味深い。規模が10人~15人というと野球、サッカー、ラグビーのスポーツ集団で、チームが合図や目配せで集団が生き物のようになって動けるのだという。これが、ゴリラの平均集団サイズの10頭と同じなのだという。

たしかに、人間の家族でも、この人数なら言葉を交わさずとも意思疎通をはかれる規模というのは納得だ。

 規模が30から50人だと、学校のクラスや軍隊の小隊のサイズで、コントロールできる人数ということらしい。

 

では、150人という人類の脳容量に見合った人数は何を意味するのか。何か困ったときに頼れる人数ということらしい。では、それは何がそれをつなぐ接着剤となりうるのかというと、身体の同調つまり文化で、象徴は「祭り」だという。音楽的コミュニケーションとも呼ぶそうだが、

言葉が要らない身体の同調能力、精神の同調能力で、それを☆共感力☆というのだそうだ。

共感力は、食べ物の分配行動である“共食”と“共同の子育て”によって高められてきたのだそうだ。(ここはあらためて、じっくりと深めてみたいところだ。)

 この150人は共感力を発揮した五感の記憶で結びついていて、この結びつきまでは「言葉」は要らないそうだ。なんとなく分かる気がする。

 言葉というのは、150人を超える人たちと付き合う必要が出てきたために、五感ではつなぎとめきれなくなったために、言葉というものを生み出したのだという。(これも、興味深いのであらためて考察してみたい。)

 人間はサルに近づいているのかもしれないという気がしてきた。