アメリカ人の一部には、有色人種に対する蔑視がまだ残っているのは事実である。南部諸州には根強いとも聞く。黒人のみならず、黄色人種も同じ差別の対象となる。白人が「黄色いサル」と呼んでいたのも事実である。アメリカ先住民に対する征服による建国や奴隷制度が19世紀まで存続した事実もあるのだから、さもありなんだ。最近でも、有色人種の国家に対する事実上の無差別爆撃などは繰り返されているし、白人警官による黒人への暴力などは発生している。
敗戦までの日本も、中国人を「チャンコロ」、朝鮮人を「チョン」と呼んで見下していたのは、戦後になっても、その呼称でよぶ蔑視した会話がおとな達の中で頻繁に交わされていたのを記憶していることから、歴史的な事実といわざるをえない。日本が植民地や半植民地として扱っていたのだから、残念ながら、日本人の中にそういう意識が芽生えて当然でもある。
ところで、マイナンバー制度が施行されたが、国民の中に定着したとは言いがたい状況がある。はっきりいって違和感がある制度だ。個人が裸にされて制度で向き合わされるという印象があるからだ。
家族や世帯という暮らしの単位でない制度は、やはりカタカナ名称である。『マイナンバー』とは、日本人としては、日本人の心が何だか英語に従属したようでとても気分が悪い名称だ。生理的に受け入れがたいという人は、けっこう周りにも多い。誰にとっての「合理性」なのか?
これも為政者の発想が、「サル化」してきているという1つの例証なのではないかと思う。
「自己責任」「自己実現」という言葉がやたらと幅を利かせているのも気になる。「自己」を強調して、バラバラにされた個人を前提にしているからだ。そして強者が弱者を従属させ、優劣を反映させてトラブルを防ぐというのも、サル社会そのものではないか。戦う前に勝敗は決まっていて敗者は退くという「効率化」だ。
拝金主義者は、強いものと縁故を結ぶことで利益を確保しようと走ることになる。縁故主義の蔓延だ。権力者を監視しチェックする役割のマスメディアや司法でさえ、保身から強い為政者の方針に寄り添おうとする姿勢も生じてくる。
こういうしくみをどんどん現実化させておきながら、口先の道徳論だけは家族の大切さを説くというのは欺瞞以外の何者でもない。
お隣の若いボスザルの国にどんどん近づいていると感じる人が増えてきているのは確かだ。