人が生きていくとき、やはり“心の休め処”というか、一息つける場所が必要なのだなあとつくづく思う。子どもを観察していて、気づいたのだが、激しく理不尽な叱責をされて悔しい思いをしたり、誤解されて寂しい思いや辛(つら)い思いをしたときなどに、下を向いて涙を浮かべてじっと我慢をして気落ちしていた子がホッとした表情を見せたり、気を取り直して明るい表情を見せてくれるのは、別の大人がそれに気づいてそっと抱きしめたり、気持ちを理解しているよという共感を伝えたときだ。独りじゃないと安心できるからだろう。共生できる居場所が見い出せたからだろう。

 

 また、その子が活き活きと輝きだすのは、大好きな誰かに頼りにされて、その役目や役割を担わされたときだ。出番が与えられて、自信に満ちた表情で楽しそうにその役割を務める。自然と作法にかなった一人前の会話が成立する。

 

この人間のあり方の原点ともいえるシーンから人間社会に生きる人間が学ぶことはとても深く大きいような気がする。

 

 今日の日本では、大人社会でも「孤独死」とか「孤食」とか★孤立★が、社会問題化しているが、この子だもたちの素直な心の表現から、綻(ほころ)びが目立ってきた日本社会の改善・改良を志そうとする大人達が学ぶべきことはかなり多いのではないかと感じた。

 

 子どもには邪念がないから、核心となるべき姿が現われるのだと思った。

居場所 そして 出番を意識的に位置づけて、創出していけばよいのだ。

 

 時間と空間を越えた「均一化」ではなく、「多様性・多彩性ある開花の共生」こそが21世紀のめざすべき理想郷であると思う。

 

全国に広がりつつあるという『こども食堂』の多彩な展開の歩みがその試みの導師なのだと思う。合言葉にすべきは“こどもに学べ!”だと思う。