「NHK受信料問題」も「大相撲モンゴル力士問題」も、TVなどのマスメディアの在り方については、それぞれ非常に気になる課題を内包しているので、このタイミングで書きたいのだが、教育の無償化問題もかねてから考察してみたかったので、そちらを優先することにした。メディアの問題については、庶民が意見を有したところで、全く別世界の人々の論理で庶民の声には一瞥もくれることなく、進められていくような気がするからだ。
ひとことだけ、「NHK受信料問題」について触れると、周囲にはNHKのニュース解説を見ないという人間が増えているのは確かだ。受信料を払っているか、いないかは人それぞれだ。皆、かつてはふつうに払っていたという。「大相撲モンゴル力士問題」も、チャンネルを回すとモンゴル力士と貴乃花親方の顔が映るようになって何日たっただろうか?三週間近いのではないか。ここまで報道姿勢の異常がくると「森友・加計問題」隠しだということが誰の眼にも明らかになってきたと思う。
衆院選挙で与党が公約として「教育の無償化」を公言した。幼児教育の公費負担も高等教育の公費負担もOECD加盟国の中で最低レベルに転落してきて、やっと問題の深刻さに気づいたのかというほどの問題意識の薄さである。選挙の結果、議席数が安定多数となったからか、「教育の無償化」という響きからは遠い「所得制限必要」とか「待機児童問題は先送り」とか、「認可外保育園は対象外」とか、本音が漏れ聞こえてきている。選挙向けのアドバルーンに過ぎなかったのかと失望した人の声も身の周りに多い。幼稚園の費用は本当にタダになるのかという真剣な切実な質問も多い。保母さんや教員の給与待遇問題や人員確保問題など課題は山積している。今まで、重点化して位置づけてこなかったためだ。
高等教育についても、卒業後の学費ローン返済に苦しむ若者の増大は社会問題化している。
にもかかわらず、首相はその箇所の答弁のページを読まずに、読み飛ばしてしまったそうだ。
自分の心からの誠があるならば、ありえない失態である。
日本国憲法は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(26条1項)とあり、すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(14条1項)とある。
つまり、国民が教育を受ける権利は、人が生存し、生活するための基本的人権とされているのだ。だから、教育を受けて、働く機会を得ることは、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(25条1項)ことの前提条件といえるのだ。
日本は奇跡的といわれる戦後の経済成長を遂げ、本来なら世界のトップランナーとして“成熟社会”のあり方を示すこともできた可能性はあったのだと思う。それは日本国憲法の指し示した理想を追求して、教育を受ける権利の具体的な実現のしくみを始めとした国民一人ひとりの☆文化的生存権☆を現実化する努力を重ねていたなら、九条の平和追求の理想と共に、世界の国々から尊敬のまなざしを向けられていたに違いない。
この20年でかなり遠回りをしてきてしまったが、はっきりと誤りを認めて新しい舵取りをするならまだ間に合うと思う。なぜなら、国民の民力と気力が決定的に衰弱してしまってはいないと思うからだ。
それには、教育に対する大胆な政策の転換が必要だ。法人資本主義の悪弊を大学に持ち込んだりすることや高校中学校小学校に管理教育を持ち込むことをやめなければ、自由な気風で育つ逞しい若者や賢者は生まれない。精神が萎縮した人間からは、難局を打開する突破力も知恵も湧いてくるはずがないからだ。
社会がここまで格差社会になってしまった中では、★自己責任★は禁句である。スタートラインが著しく公平性を欠いているのに、「自己責任」を強調し押し付けるのは、理不尽なふるまいだと思う。
また、無償化にかかる費用についての議論がすぐに登場するが、各家族の家計の中ではかなり目一杯まで教育には惜しまずにお金をかけてあげようという親心はあると思う。国の財政の中でも教育費は優先順位はかなり高いはずである。それが為政者のあり方だろう。
もし、このことへの危機感が弱かったり、強者への忖度ばかりしているようだと、日本という国は取り返しのつかないことになると思う。