戦争には名前がある。日本は戦後70年も戦争に参戦してきてはいない。国として戦争をしてはいないので、殺したり殺されたりはしないで過ごしてきた。この事実を九条のおかげと考えるか、アメリカのおかげと考えるか、で将来の歩むべき道が異なってくる。

 

 1945年8月15日を「敗戦」と呼ぶか、「終戦」と呼ぶかも、一人ひとりのその名称に込める思いと印象が異なっているのだと思う。しかし、戦争が終わった8月15日は知っていても、開戦の12月8日を知らない人もけっこういる。ということは、奇襲攻撃を受けたアメリカ人は、「リメンバー パールハーバー」を合言葉に戦意高揚したのだから、加害側と被害側ではかなりの意識の差があると思う。日本人で、8月6日広島と8月9日長崎の原爆投下の地獄絵図のような惨状を知らない人はいないが、米国人は原爆投下は正しかったと今でも考えている人が大半だというから、立ち位置によって戦争の呼称が変わるのは当然だと思う。ヤルタ秘密協定に基づきドイツの敗戦後3ヶ月目の8月8日ソ連軍満州侵攻(日ソ中立条約破棄)はその意味を語られていないような気がする。

 

  本日、12月8日は日本軍がハワイの真珠湾奇襲攻撃をした日である。つまり、日米が開戦した記念日である。(日本軍は、真珠湾攻撃と同時に香港,マレーシア,フィリピン,グアム島などでも軍事行動を開始し,開戦を予期していなかったアメリカ軍やイギリス軍に緒戦で多大な損害を与えた。)

 その戦争を「太平洋戦争」と呼ぶ。この呼び名は、英:語でPacific Warと呼んだための呼称だ。日本側の呼称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で決定した「 大東亜戦争」で、1937年からの支那事変も含めた。(敗戦後は、日本でも「太平洋戦争」という呼称が使われ始めたという。)

 しかし、この戦争は、1931 年(昭和6)の満州事変に始まっていた中国大陸での十五年戦争とも呼ばれる日中戦争の延長であり、世界的には第二次世界大戦の日独伊の枢軸陣営と反ファシズム連合国との間で戦われた戦争の一部でもあった。

 

 だから、後世の自身としては、第二次世界大戦の勃発に結び付けて、また日中15年戦争に結び付けて、全体を俯瞰してこの戦争の姿を捉える必要があるように思う。

だから、個々の戦場や戦闘を記すに際しての当時の呼称として、「大東亜戦争」や「太平洋戦争」を使用することはあっても、反省を生かし、将来を構想するときに、人間にとっての戦争の本質に迫ろうとする場合は、やはり「第二次世界大戦」を分析する必要があると考える。というのは、その後の世界の70年の歩みも知ることができるからだ。

 

第二次世界大戦は、4つの戦争の性格があったといわれる。

第一に、ファシズム対反ファシズムの戦争(全体主義対民主主義)+(レジスタンスの闘い)

第二に、帝国主義国対帝国主義国の戦争(植民地の奪い合い)

第三に、植民地宗主国対民族解放の戦争(独立戦争)

第四に、資本主義国対社会主義国の戦争(戦後の東西冷戦の原型ともいえる)

 

だから、このうちのどの戦争の性格を重要だとクローズアップして考えるかによって、戦争の呼称は変わってしまうものだと思う。立ち位置で違って当然だと思う。国内にも、それぞれの利害を伴った立ち位置があるのだから、それぞれが将来を展望するにあたって、重要と考える課題にふさわしい呼称を選ぶのだと思う。

 

では、自身はどういう呼称を選びたいかについては、あらためて書いてみたいと思う。

きょうは、12月8日だから、入り口を意識して、まずは書いてみた。