市場経済万能論が、社会にも国会にも、のさばりはびこり、跋扈(ばっこ)している。

 

では、そもそもこの「経済」とはなんなのか。経済学・経済史・経済誌・貨幣経済・経済効率・経済援助・経済協力・経済界・経済闘争・経済的・経済効果・経済成長・経済団体・経済封鎖・経済統制・経済特区などなど経済とつく言葉は巷に溢れている。

しかし、実はわかったようで分からないのがこの語である。庶民は、なんとなくお金に関することのようなイメージなのではないだろうか。

 

 辞書で調べてみると、どこかで聴いたことのあるような「けいせいさいみん(民)」が出てきた。

 経世済民」は、世を経(おさ)め、民を済(すく)う』と訓読みされる四字熟語だ。

 

 その意味は、世の中をよく治めて、人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治をいう。

「経」は治める、統治する。「済民」は人民の難儀を救済すること。「済」は救う、援助する意味なのだ。つまり、民を救うために様々な公的対策を行わんとすることが「経済」なのである。

 

 経世済民は、「世の中を治め、国民の苦しみを救うこと」を、表す四字熟語 で、そうした政治をいうのだ。英語の「Economy」の訳語 として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を 指し示す語だったのだ。それも、庶民を救うことが眼目の魂の宿った言葉だったのだ。

 では、経済産業省には、そういう自覚があるのだろうか?弱肉強食の競争と自己責任論が叫ばれる今日のどんどん酷くなった格差社会は、経世済民の理想とは程遠い現実である。

 

 江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「経済」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになっていったようだ。

 英語の economy の語源は、ギリシャ語のオイコノミアで、家の管理すなわち家政を意味. する ものだというから、天下国家の理念よりも、カネが意識面で拡大されてしまったのだろう。

 

 英語では"economy"を「家事する、倹約する」とし、"political economy"として「政治経済学。日本では、前者に「家政」、後者については「理財」の訳語が用いられたようだ。江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続したため、本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となって使われてしまったらしい。

 当時、天下の台所と呼ばれていた大坂で「経済家」といえば、治政一般ではなく「金銀の事」に詳しい者を指したと言い、大坂商人の間では現代的な「経済」の用法が既に常識的だったようだ

 

 こう調べ考えてみると経済は、「世のため人のため」ということが、もともとの意味だったのに.、現在は「自分が儲かれば他はどうでもいい」 「手段を問わず利益が出ればいい」という 思想にとり憑かれた亡者の占有物になってしまっているようだ。

 

  お金儲けのためだけでなく広く世のため人のための経済 という考え方つまり☆経世済民☆が21世紀の今こそ、覚醒し蘇生してほしいものだ。 ...