今日は、時間がないので、じっくりではなく、読んで理解したことを簡潔に書こうと思う。
中国や朝鮮で、おにぎり文化が定着しなかったのは、三つの理由があるらしい。一つは、冷や飯を食べる習慣がないこと。もう一つは、貧しい人が食べるものという観念が残っていること。そして、素手で米を触ることにあるらしい。
日本にも「冷や飯を食わされる」という比喩表現があるくらいだから、そういう感覚が東アジアにあっても不思議ではない。また、現在もコンビニに行くと「おにぎり」を買うと、「温めますか?」と訊かれることもあるのは、温かさを求める日本人も少なからずいる証拠でもある。
庶民が食べるものという感覚は、日本でも、京都御所の女房たちが「おむすび」という上品な響きのある呼称をつかって言い換えていたことにも表れている。
しかし、今や現代日本には「おにぎり文化」が百花繚乱に全国に咲き誇っている。そこで著者の気づいたことはなにかというと、朝鮮や中国でジャポニカ米を炊くにもかかわらず、おにぎりが定着しなかったのが不思議と考えるよりも、日本人の風土と歴史に育くまれた感性が特殊なのだと考えたほうがよさそうだというのだ。 納得である。
次回は、日本といっても広いがその各地での「おにぎり」への愛着と知恵の調和の歩みと多彩な変化を一つ一つ眺めてみたい。さまざまな地方文化が色濃く反映しているようだからだ。