「結界」というものがある。修行僧が戒律を犯さないように衣食住について、一定の地域をさだめることだ。修行の妨げになるものの立ち入りを許さないことも意味する。

神社においても、しめ縄は神の世界と現世との境界を意味するのだという。中国からの風水の考え方も広く世に浸透しているが、結界を結ぶことで聖なる空間が出現するという考えだ。

つまり、日本には、古来から結界を結ぶことで空間を切り分けるという考え方があったということだ。それが、仏教にも神事にも残っていることがその証しだ。

 

 “結ぶ”という行為は、複数のものをまとめることであり、神事や宗教との関係性があるということになる。確かに「結婚」という言葉にもそれは表れている。

 

 結びの語源は、「ムスヒ(産霊)」に由来するという。大和言葉の「ムス」には産む生むという意味があり、霊的・神秘的な事柄を意味する「ヒ」が加わって、「ムスヒ」になったという。

君が代の「苔むす」の「ムス」と「ムスブ」のムスは同じ語だったのだ。

 古事記にも、「タカミムスビノカミ」「カミムスビノカミ」の二人の神が登場してくる。

 

今でも「縁を結ぶ」という表現にその名残があるという。

「ムスブ」という大和言葉に、結界の「結」という漢字が当てられた。

おにぎりを結ぶという行為は、一種の祈祷だったのではないかということだ。

1987年に石川県中能登で発見された弥生遺跡から、真っ黒に炭化した蒸した米粒の石状の塊の形状が円錐形に整えられていたそうだ。つまり、食用以外の用途でつくられたと推測され、米は神聖な食べ物として、供え物にされていた。つまり、そのころから米は日本では信仰の対象だったというのが「おにぎり」の始まりらしい。

次回は、その後の「おにぎり」の歩みを辿ってみたい。