※ ども!はごろも と申します。ブログ主、単行本未読勢です。鬼滅はアニメと、公式ファンブック1~2をネタバレしないようにチラ見した程度の知識です。その程度で語ってしまいますので、もし原作ではちゃんと明記されている事実を知らずに語ってしまっていてもご容赦ください。🙏
前回の記事から、むさ苦しくもつづきます。
さて、この遊郭編 視聴後の心のモヤモヤ、それを己のために解き明かせるものなら、解き明かしていきたいウズテン推しの私。そのためには、避けて通れないのが、
②煉獄杏寿郎との対比
でさぁね!
ここを語らずして、遊郭編を、宇髄天元を語れないのは鬼滅視聴者のみなさんはご存じのこと…
そう、でかい、デカイのよ、煉獄さんの存在、そして影響が…。
まあ私が語らずとも誰しもがそれを受け取りながら物語はすすんだと思いますが、
この煉獄杏寿郎の戦いっぷりが、生き様、信念が、ほんと人々の心を強く打ったわけですね。そしてこの物語の主人公、竈門炭治郎の心に、深く根を張るように息づいたのでして。。。
しかも炭治郎だけじゃなく、その後何度も煉獄さんの信念は、回想シーンとなって登場するわけです。無一郎くんしかり。無限城でも、まだまだ出てきます煉獄さんのお姿は。
私も、大好きで仕方がないです。煉獄さんは。ほんと死んで欲しくなかった…。
ただ、煉獄さんの戦いっぷりが、いろんな人へ影響を残したと描かれば描かれるほど、そのあと遊郭編で戦った宇髄天元の激闘っぷりが、霞んじゃうというか見劣り(この言葉使いたくは無いが)してしまうんですよね…。いや、天元様もなかなか頑張っていたよ…。
煉獄さんの刀の鍔を譲り受け、そのあとの上弦の鬼たちとの厳しい戦いに “ 心を燃やせ ” と奮い立たせながら挑む炭治郎。
個人的には、宇髄天元のあの髪の両脇から垂れさがっているジャラジャラしたやつを、「宇髄さん、引退するならそのジャラジャラを俺に下さい!!」と炭治郎が肌身につけて宇髄イズムを、宇髄の想いを、ほんのちょびっっっっとでいいので引き継いで今後の戦いに挑んでいく…みたいな柱に対するリスペクトの描写を、もっと欲しいと思ってしまうのよ。アタカオ☆ヲタクなので、欲しがるのよ、そーゆー、のを!!!!!(勝手にやっておれ)
だって、柱が大好きなんだもん。
まあ作者も別に柱をメインに物語をすすめては いない。あくまで物語の主人公、竈門炭治郎が強くなっていく様、成長の様が描かれていくわけで。。
分かってる。分かっちゃいるんです。。。
それに、『 “ 人は死んだらお終い ” では無い』という種のテーマも進んでいく物語の中に沿わせているのだろうしな。。。
で、この煉獄杏寿郎の死闘が、あまりに清く、揺るがず、己の命も厭わない姿が、その背中が鬼殺隊の鑑のように目に映るんですね。
あまりに見事なまでに清く美しく散っていった彼の命。けれども煉獄さん本人は、『命をかけて守る
』だとか『罪なき者を守るためなら自分の命など厭わない!』とかって別に言ってはいない。ただ「責務を全うする」とだけ、彼は上弦の鬼、猗窩座に対して言い放つんですね。
彼のただその潔く突き抜けた信念からは、なんだか “ 命を厭うか厭わないか ”…なんて もはやそこが焦点ではないような『命なんて厭わない!』というドラマティックさじゃなくて、ただただ真っ新で真っ直ぐな「責務を全うする」を貫いた姿に、私には見えたんです。勝手に、だけど。
命云々を引き合いにも出さずに、ただその1点の信念、信条、のような。
しかもそれが、母親との約束だった。(ゴメン泣く)
ここで自分のモヤモヤを晴らすべく触れたいのが、この、“ 何を守りたいのか ” の違いが、煉獄さんと宇髄の対局をつくり出している、ということ…。
それこそがその後の宇髄との対比を生んだのだ。
煉獄さんが絵にかいたような鬼殺隊の鑑に見えてくるがゆえに、生き残った宇髄の、隊士からの離脱は言ってしまえば拍子抜けで。
この落差のようなものにモヤモヤしてしまう私のような者は、この2人の『 守りたかったもの 』の違いにしっかり想いを馳せなければならない。
煉獄さんは、何があってもこの、「強い者は弱い者を助ける」という母親からの教え、約束を守りたかった。
守る、とそれだけは決めていた。
だからあの死闘だったのだ。
そして宇髄天元が守りたかったものは、3人の嫁の命。けして宇髄本人は、『命を捨ててまでは戦わない』などと そんなことは一言も言ってはなく、宇髄だって「御館様には命をかけて当然」と言っているのだけど、
にも関わらず、彼からは終始漂う「生き残る」という意思が感じられるのだ。
それはやはり、宇髄を慕う嫁を残して死ねないからであり、彼だって世界一大事な嫁を悲しませたくはない。そりゃあそうである。
そして3人に、生きろと教えたのは旦那である宇髄だ。彼女たちは “ くノ一 ” として生きてきて「任務遂行のためなら最低限の努力は命を捨てることという教育をされてきた」と、まきをが語っている。
そんな彼女たちに宇髄は「他の何においても、まずは俺の所へ戻れ。任務遂行より命。死ぬなよ」と告げ、当たり前であるべき価値観を、彼女たちに取り戻させた。「死ぬのが嫌だって、生きていたいと思うのだって、悪いことじゃないはずよ」と。
そんな最高な旦那を失うストーリーは、視聴者だって悲しすぎて、観たくない。それは本当に、そう。
だが、ここでも人間不思議で勝手なもので、その嫁たちの、「上弦の鬼を倒したら、一線から退いて、普通の人間として生きて行きましょう」「4人欠けることなく、帰れますね」「生きてて良かった」というセリフがあればあるほど、こちらの心がモヤモヤしてしまうことを、白状しなければならない。不甲斐なし。穴があったら。
なぜモヤるのか。
私は考えた。ほんとうに一カ月くらい考えてる。
そして1つの思いにたどり着く…
他の柱たちは、これからも文字通り命をかけてまだまだ戦う。まだ、先はつづく。鬼舞辻無惨まで、戦いの道は続いていく。きっと、いや絶対に無キズじゃ済まない。上弦が強すぎる。未来が無い者も、多くいる結末なのだろう。
宇髄は言う。生きてるやつが勝ちなんだ。
嫁たちが言う。4人欠けずに良かった、と。
私は、
宇髄天元には、ずっと戦っていて欲しかったと期待して、そして煉獄さんには生きていて欲しかったと願ってしまうのだ。
アホな私の心が、ムギュッとなる。
詰まって、苦しい。(アタオカのなせる技)
私は、鬼滅関係なく、私の中に知らずに根付いていた「自己犠牲」という物語を崇高なものとしていて、それを美徳として生きているのだな、と思い知った。その観念が、今回鬼滅の刃というアニメに出会った私をひどく混乱させ、複雑な感情を抱かせたのだった。
命を厭わずといった “ 綺麗 ” に見えるものだけが、正しいわけではない。それは、そう。そうなのだ。
そして煉獄さんは、本当に正真正銘 誰がなんと言おうと綺麗で在り、かたや宇髄は人間の根底にある願いを選び取った。
そのどちらも、彼ら2人は見せてくれた。炭治郎と、われわれ視聴者に。
宇髄天元は、宇髄天元でしか見せられない背中を竈門炭治郎に見せた。
炭治郎は、死ねない。禰豆子を残しては。
私はまだまだこれから何度も、この無限列車編と遊郭編を繰り返し見ると思う。
なぜならば、正直に書くと、まだ心のモヤモヤを完全にはスッキリさせられずにいるから。
そしてこの2人の柱が大好きだから。
だから私は、これから幾度となく、無限列車編&遊郭編を観るのだろうな。
立志編を終えてからの この煉獄さんと宇髄天元の流れが、ほんと秀逸すぎて沼から出られません!(幸せ)
そしてこのモヤモヤに関する記事は、まだ書くと思う。だってあの「俺は煉獄のようにはできねぇ」の名シーンに触れてませんからね!ありゃあ別記事になるわな。
それでは今日はこの辺で!
トップ画像 鬼滅の刃 遊郭編 第8話より ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable