頭が邪魔をする | 平岡秀幸 ・ ブログで読む演技論

平岡秀幸 ・ ブログで読む演技論

京都を中心に演劇活動をしています。
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 以前「私が邪魔をする」ということを書いた。

 主体的な私は大切だ、しかし自意識にとらわれると反対に私が邪魔ものになってくる。

 言葉の上で私といえば一つだが、私というたった一つの実態などと言うものは無い。

 

 頭もそうだ。

 考えるということは大切だが、考えすぎて失敗することもある。

 演技プランを考えすぎて失敗することもあるし、しっかりとプランを練ってから稽古場に行っても、実際の稽古では全く違ったことをしてしまうこともある。

 

 新しい作品の構想を練るときは、やはり頭を使ってしまう。

 

 シェイクスピアのマクベスは、何度もかかわっていて思い入れのある作品だ。

 もう一度挑戦してみたいと思っているが、具体的な計画は無いので、今度はこんな形でやってみたいなどと、勝手に演出プランを膨らませている。

 そんなプランだけを膨らませている作品がいくつもある。

 

 私が演技で大切にするものは、関係性だ。

 例えばマクベスで言えば、魔女とマクベス、操るものと操られるものの関係がはっきりしている。

 それをいかに見せるかを考えてプランを練る。

 うーん、これはいける・・・、と思っても翌日思い返すと、全くくだらなく感じる。

 説明的すぎるのだ。

 

 舞台では関係性がしっかりと見えることが大切だ。

 しかしきちっとやることをやっていれば、関係性は生まれてくる。

 その上で、その関係性をいかに見せるかということが演出の要だ。

 

 頭で考えすぎると、見せるということが説明するということにすり替わってしまう。

 

 観客として舞台を見れば、説明的な芝居ほど退屈なものはない。

 しかし作る側に回れば、ついつい説明したくなる。

 

 ご用心、ご用心。