随分とお久しぶりです。
体調を崩していたとか、仕事がチョー忙しかったわけではありません。
ずるずるとサボってしまいました。
やっぱりこれは書いておかなければ…、ということがありました。
やっと書く気になりました。
最近ネームプレートをぶらさげている人をよく見かける。
セミナーのような集まりだと必ず全員がぶら下げている。
不審者対策もあるだろう、知らない者同士が集まるのだから、肩書なり名前なりがパッと見てわかれば便利かもしれない。
しかしそれで相手の何がわかるのだろう?
名前が知りたければ、相手に聞けばよい。
そうすれば名前だけではなく、相手の声を聴くこともできるし、しゃべり方から何かしらのイメージをくみ取れる。
目の前に人が居るということを実感できるはずだ。
ネームプレートを付けていると、そこに自分が居るように錯覚する人も増えている。
先日ある集まりに医大生が5~6人研修で参加していた。
部外者なのでネームプレートを付けていた。
そして自己紹介。
全員、自分の名前を言うときにネームプレートに手をやり、こちらに差し出して見せた。
その声の頼りないこと…。
ここに書いてあるんだから、わざわざ声に出す必要はないでしょうということなのだろうか。
私は「○○です」と言っているのではなく、ここに「○○」と書いてありますと説明しているだけのことだ。
そんなこと見ればわかる。
あなたがいったい誰なのか、どういう人なのか、それが知りたいのです。
それとも、そのネームプレートがあなたなのですか?