ネームプレート | 平岡秀幸 ・ ブログで読む演技論

平岡秀幸 ・ ブログで読む演技論

京都を中心に演劇活動をしています。
演劇、特に演技について、
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色々発信していきます。

 随分とお久しぶりです。

 体調を崩していたとか、仕事がチョー忙しかったわけではありません。

 ずるずるとサボってしまいました。


 やっぱりこれは書いておかなければ…、ということがありました。

 やっと書く気になりました。


 最近ネームプレートをぶらさげている人をよく見かける。

 セミナーのような集まりだと必ず全員がぶら下げている。

 不審者対策もあるだろう、知らない者同士が集まるのだから、肩書なり名前なりがパッと見てわかれば便利かもしれない。

 しかしそれで相手の何がわかるのだろう?

 名前が知りたければ、相手に聞けばよい。

 そうすれば名前だけではなく、相手の声を聴くこともできるし、しゃべり方から何かしらのイメージをくみ取れる。

 目の前に人が居るということを実感できるはずだ。


 ネームプレートを付けていると、そこに自分が居るように錯覚する人も増えている。


 先日ある集まりに医大生が5~6人研修で参加していた。

 部外者なのでネームプレートを付けていた。

 そして自己紹介。

 全員、自分の名前を言うときにネームプレートに手をやり、こちらに差し出して見せた。

 その声の頼りないこと…。


 ここに書いてあるんだから、わざわざ声に出す必要はないでしょうということなのだろうか。


 私は「○○です」と言っているのではなく、ここに「○○」と書いてありますと説明しているだけのことだ。


 そんなこと見ればわかる。

 あなたがいったい誰なのか、どういう人なのか、それが知りたいのです。


 それとも、そのネームプレートがあなたなのですか?