<9月15日>

この日は午後3時半頃に岩手県のJR一ノ関駅前におりました。

 

駅舎のガラス面には「大船渡線百周年」の龍が描かれています。

 

市の名称も温泉郷の名称も「一関」なのに、

何故か駅名は「一ノ関」。こうなった理由は諸説あるようです。

 

駅舎正面の駅名と時計の前に立つと背中に銅像を背負う形になります。

 

回れ右して正面から見ると「大槻三賢人像」があり、

駅舎と対峙しているのが「玄沢」

わが国で初めて蘭学塾を開いた江戸後期の蘭学者で、

「解体新書」などとも関係があります。

 

正面から左側に回ると「磐渓」

玄沢の次男で幕末に開国を唱えた儒学者です。

 

正面から右側に回ると「文彦」

磐渓の三男で、わが国初の辞書「言海」を完成させた方です。