<2023年7月17日午後3時19分>
豪雨災害から足掛け3日目の午後になりました。
2日目は日曜日で、汗だくになって必死に家の中を洗い続け、
3日目は月曜日ですが「海の日」で祝日。
この日は朝から汚水に浸かった家具類始めあらゆるものを外へ出し、
家の中を乾燥させるための準備作業でした。
手伝ってくれたのは連日となる妻の姉に、
近くに住んでいる娘夫婦も加わり、私たち夫婦や娘の友人も
様々な形で支援してくれ、軽トラックも借りることができました。
人手が増えると、今まで動かせなかった家具類も動かせるようになります。
サイドボードを寄せてみました。
寄せてみると、下のフローリングにはびっしりと汚泥が残っており、
壁のコルク地には浸水痕もくっきりと残っていました。
ほぼ「床上20cm」のラインで、このラインが残っていたおかげで
あとからの市の現地調査でも「証拠」として採用されました。
前日、丸1日かけて家の中を洗い流し、一見綺麗になったように見えても、
このように寄せ切れなかった家具や家電類の下には汚泥が残り、
壁や建具の内側には汚水が沁み込んでいることが分かりました。
夜は「あれやこれや」考えが頭を巡って眠れず、
これからどうするか、様々な案が浮かんでは消え、
妻と二人で先行きどうするかという悩ましい会話が続きました。
このときの自宅のリビングは「物の山」になっていました。
各部屋にあった家具類の中身を一旦出して、浸漬したものは
とりあえず外に出し、家の中を乾かそうとしたためです。
外に出した家具類はどんどん増えて行きました。
そこへ無情にも雨が降り続き、
これらはもはや捨てるという選択肢しかありませんでした。
そこで、市役所へ電話して「災害ゴミ」の処理方法を聞きました。
「ハイ!市役所警備室です!」
「雨にやられて浸水した者ですが、災害のゴミはどうすればいいんでしょうか?」
「・・・(しばし絶句)・・・少々お待ちください、担当課と変わります」
「・・・(延々と市民歌のメロディーが流れる)・・・」
祝日だったかも知れませんが、この緊急時に体制ができておらず、
悠長な対応をされて、さすがに、だんだんイライラして腹が立ってきました。
ようやく担当課が出たら、「本日これから、臨時の災害ゴミ置き場を開設します」
という情報をもらって、早速動くことにしました。
軽トラックに廃棄物を積んで、娘婿さんに手伝ってもらい、
臨時の災害ゴミ置き場に着いたのは16時過ぎでした。
先に誰か捨てた跡はありましたが、何と「2番目」でした。
それにしても驚いたのは、この大規模災害発生という
超緊急事態だというのに、この場の市の担当者から指示されたのは
「分別して、指定の場所に捨てて下さい」という指示でした。
渡されたペーパー上ではA4サイズ1枚ですが、
実際のゴミ捨て場はかつての空港跡地で相当な広さで、
軽トラで駆けずり回るほどのスペースに、
「捨て場」が点在している状態でした。
しかも、そもそも「分別」を想定していなかったので、
軽トラの荷台は「混載」状態でしたので、結果的にゴミ捨て場を
あっちへ捨て、こっちへ捨て、またあっちへ戻って捨て・・・と、
大変な「ゴミ捨て作業」になりました。
その後、この場所は巨大な「ゴミの山」になり、
重機を導入して処理して行くことになりましたが、
果たして「分別」が必要だったのか、しかも9種類、
いまだによく分かりません。
ただ、私の場合はたまたま軽トラを早めに確保できたことと、
ゴミ捨て場開設情報をいち早く入手できたことで、
ほとんど「いの一番」に動くことができました。