<2021年3月30日>
放浪ドライブで訪れた福島県会津若松市の「会津武家屋敷」。
「西郷頼母一族自刃の場面」を再現した凄惨な展示の隣は、
西郷頼母と妻千恵子の肖像や胸像がありました。
その隣には頼母の養子となり、講道館柔道で四天王の一人となり
「姿三四郎」のモデルにもなった西郷四郎の柔道着が飾られています。
表門の隣にあった必殺技「山嵐」の銅像の人。
その隣は一転して「鹿鳴館の華 大山捨松」の人形です。
明治時代、岩倉具視の欧米使節団に同行した5人の少女。
津田梅子らと共に海を渡った一人が「山川捨松=大山捨松」さんです。
「捨松」という男のような名前は、アメリカへ旅立つ娘に対し、
母唐衣が「捨てたつもりで待つ」という親心から、
「咲子」を「捨松」に変えたとのこと。
会津藩家老「山川尚江」の末娘で、帰国後に結婚して大山姓となり、
鹿鳴館などで活躍。日米親善の先駆者となりました。
西郷家といい山川家といい、
戊辰戦争で凄惨な目に合った家老たちの末裔は、
その後の日本の中で活躍した方も多くいます。
次は台所から家老屋敷内へ入ります。
台所で靴を脱いで、吊るし雛を横目に建物へ入りました。