<2021年3月30日>
放浪ドライブで訪れた福島県会津若松市。
「会津武家屋敷」に入場して、家老である「西郷頼母(たのも)」の
屋敷を巡ります。居宅部分から戊辰戦争資料館へ。
戊辰戦争要図の先には大八車、その先に人形が見えます。
悲劇「西郷頼母一族の自刃」。
頼母の肖像と一族の自刃の様子を描いた絵があります。
人形で再現した「自刃の場面」は、鬼気迫るものがあります。
白装束に身を包んだ女性と子供。
手前には先立たせたとみられる「三女田鶴子(九歳)」と
「四女常磐子(四歳)」が白布をかけられて横たわり、
奥には左から「次女瀑布子(十三歳)」「妻千恵子(三十六歳)」
「五女季子(二歳)」「長女細布子(十六歳)」が並んでいます。
逆屏風の脇には介錯用人とみられる男性が見下ろしています。
家主である頼母は、藩主に降伏を進言するために鶴ヶ城へ登城し、
その頃自宅では、覚悟を決めた家族が自刃して果てたという顛末のようです。
それぞれの「辞世の句」も残されていました。
「逆屏風」の解説です。
仏事では敢えて日常と逆のことをする「さかさごと」がいろいろありますが、
これもその一環のようです。
壮絶な「頼母一族自刃の場面」、
史実では、妻子たちがこうして自刃して果てる中、
家主である西郷頼母は城を抜け出して生き延びます。
一族の悲劇と本人の逃走劇が交錯する西郷の評価は
その後二分されることになっているようです。