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<7月7日>
上野の森美術館で 「 エッシャー展 」 を鑑賞したあとの上野界隈散歩。
「 旧根津宮永町 」 から、根津小学校の脇を通って来ると
「 旧根津清水町 」 というエリアに入りました。
【 もと元屋敷と呼ばれた。六代将軍家宣は、
 父徳川綱重の屋敷で生まれた。
 家宣が江戸城に入って後、根津神社が造営された。
 もと甲府屋敷であった。
 清水横町といわれ、根津社地門前町に属していたが、
 明治5年根津清水町とした。
 町名の由来は、清水横町といわれていたのに由来する。
 清水門があったからとも。また本郷台地の下から、
 清水が湧き出ていたからとも伝えられる。
 背後の台地は、弥生式土器が出土した弥生町の台地に隣りあっている。
 原始時代人の住居の必要条件としてのわき水を考えると興味が深い。】
 
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さらにその奥の小路へ入り込んで行きました。
 
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古びた長屋のような建物も残っています。
 
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緩やかな坂道を上がって行くと 「 根津神社 」 の石柱が見えて来ました。
 
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このあたりは 「 旧根津須賀町 」 です。
【 もと、甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の子で五代将軍綱吉の兄)
 の屋敷があった。綱重の子の綱豊(六代将軍家宣となる)がここで生まれ、
 団子坂上にあった根津神社が産土神(生まれた土地の神)であった。
 綱豊は綱吉将軍の後継ぎとなり江戸城へ移った。
 綱吉は、宝永3年(1706)根津神社を甲府屋敷の跡に移し、
 華麗な社殿を造営した。また、町屋が開かれ、根津社地門前と称した。
 明治2年、町名を根津須賀町とした。(後略)】
 
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その 「 根津神社 」 へ入ります。