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<10月21日>

 青森県板柳町の 「 海童神社 」

 鳥居をくぐって参道の突き当りに拝殿があり、その奥が本殿になっているようでした。

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 狭い境内ですが、あちこちに様々な碑が建っているのも特徴のひとつです。

 黒御影?の大きな石碑は 「 平成元年改元記念碑 」

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 その奥には立派な胸像があります。

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 関取の胸像で、【 櫻錦利一関之像 】 とあります。

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 大正五年、板柳の生まれで、昭和七年に角界入り。

 努力と根性の力士で、小結まで昇進し、当時の大横綱双葉山に二回勝っているそうです。没年は昭和37年、

46歳とのこと。

 相撲の盛んな津軽地方で、胸像まで建っているのは、よほどの名力士と思われます。

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 【 消防職員 頌徳碑 】 というのもありました。

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 小さな池を挟んで、祠や石碑が数多くあります。

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 海のない街に鎮座する 「 海童神社 」

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 標柱にこの神社の由来が記されていました。

 【 文禄2年 ( 1593 ) 津軽為信が豊臣秀吉の朝鮮征伐の際に軍を派遣したとき、海上安全国土繁祥の

  祈願所とするため「宝量宮」と名付けて建立された。

  現在地に遷宮したのは承応元年(1653)である。】 とのこと。

 海上安全祈願のためもあって 「 海童 」 になったのかも知れませんが、もともとは 「 宝量宮 」 という名前

でした。