
<2013年4月20日>
東京両国の江戸東京博物館の 「 東京ゾーン 」。
文明開化の頃の銀座の様子を詳細に描いたミニチュアの次は、巨大なビルです。
これがかの 「 浅草十二階 」、正式には 「 凌雲閣 」。1890年(明治23年)浅草公園六区の北側に建てられた
もので、当時の日本では一番高い建物だったはず。設計はイギリス人の技師ウィリアム・K・バルトンさん。

10階までは八角形の総煉瓦造り、11と12階は木造で、11階部分にアーク灯が、てっぺんには避雷針が
立てられていました。高さは約220尺(67メートル)。
日本初のエレベーターも設置され、演芸場や世界の産物も売られていた、いわば日本の最先端スポットで
した。関東大震災で倒壊するまで、浅草の、いや日本のシンボルだったと思われます。
10分の1のミニチュアとはいえ、当時の姿が実感としてよく分かります。

こちらは 「 電氣館 」 です。
これも浅草六区にあったものだそうで、日本で初めての常設の活動写真館になりました。

「 電氣館 」 というくらいで、もともとは電気仕掛けの器具を動かしていた見世物小屋。
それが映画の発明とともに、電気の延長線上として活動写真の上映を始めたもののようです。

前から見ても、横から見ても、とにかく派手で、華やかな建物です。
現在も 「 電気館ビル 」 という複合施設が建っているそうで、伝統の名前が現代にも引き継がれています。

「 アントニーとクレオパトラ 」 はイタリアの史劇。
他にもチャーリー・チャップリンの喜劇フィルムなどが上映され、「 動く写真 」 に人々は胸を躍らせました。
無声映画時代の弁士の声、浅草という日本一の盛り場の雑踏と賑やかな喚声が聞こえて来るようです。