
<5月4日>
宇奈月温泉の温泉街をひと回りして、坂道を上りながら駐車場へ戻る途中、黒部川電気記念館の手前隣りに
「 獨樂荘 」 と彫られた巨大な岩の看板が立っています。
大正8年12月、黒部開発の先陣を切った日本電力の初代社長に就任したのが、山岡順太郎という人物。
社長在任は約9年間でしたが、「 電源ありしこうして産業あり 」 の信念に基づいて、幾多の難関を突破してのち
の関西電力となる会社の基礎を確立しました。
山岡氏は宇奈月の地をこよなく愛し、その人柄を慕う社員の浄財をもとに建てられた別邸を 「 獨樂荘 」 と
名付け、独楽荘主人と号していたそうです。いわば、黒部の恩人の一人。

その大きな岩の看板の後ろに、隠れるようにあったのが、一体の胸像です。

「 山田胖翁之像 」・・・名前が読めません。
隣りにあった解説板をみると、この方も宇奈月の繁栄の基礎を築いた恩人の一人のようです。
黒部川電源開発の為には、資材補給や従業員の厚生娯楽の基地として宇奈月の開発が重要である・・・と
開発に熱をそそぎ、大正12年には、無人の荒れ地であった桃原 ( 今の宇奈月、桃原はウナヅキ平とも呼ばれ
ていた ) に温泉を引湯して、宇奈月温泉の基礎を築いたとのこと。
名前は 「 胖 ( ゆたか )」 と読むようです。

駐車場へ戻って来ました。
山肌にへばりつくように、ドーム型、土色の建物があります。
「 黒部市宇奈月国際会館 」 & 「 セレネ美術館 」。どんな展示があるのか分かりませんが、駅や温泉街とは
反対方向にあって、しかも坂をさらに登らなければならないので、ちょっと気持ちは向きにくい位置です。
そろそろ夕方5時30分頃。今夜の宿へと向かうことにしました。

宇奈月温泉から、一気に山を下って、黒部市内へ。
富山電鉄黒部駅へやってきました。

駅舎は古びており、駅前も 「 ひと昔前の空間 」 という空気が充満しています。
かつては繁栄を謳歌したんでしょうが、今はすっかり寂しく静かになって、面影だけを残している・・・そんな街や
駅や商店街が日本全国に随分増えました。
ここも典型的な、「 そんな駅前 」 です。