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<6月19日>
 
 新歌舞伎座の屋上庭園には、もうひとつ解説板の付けられたものがあります。
 
 「 黙阿弥の石燈籠と蹲踞 ( つくばい )」
 
 【 歌舞伎作者河竹黙阿弥 (1816年~1893年) は1887年 (明治20年) に、浅草から本所南
 
 二葉町 ( いまの亀沢2丁目 ) に新築移転し、晩年の6年間を過ごしました。この石燈籠と蹲踞
 
 ( 手水鉢 ) は、その庭に置かれていた遺愛の二品です。( 以下省略 )・・・河竹登志夫】
 
 黙阿弥が愛した品の現物のようです。
 
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 関東大震災で倒れ、修復した跡の残る石燈籠。
 
 その石燈籠と常にセットで、あちこち移動して来たのが、この 「 蹲踞 」 です。
 
 黙阿弥の長女の糸女、その養嗣子の繁俊、その嫡男である登志夫氏へと受け継がれ、一家の移住に同行
 
して渋谷、世田谷、逗子と移動して来たそうです。
 
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 屋上庭園の帰り道は、鮮やかな朱塗りの階段が順路になっています。
 
 「 五右衛門階段 」 と名付けられたこの階段、歌舞伎に登場する “ 絶景かな!絶景かな!” の場面を意識
 
しているのでしょうか。
 
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 階段を下り始めると、真新しい屋根瓦が綺麗に見えて来ます。
 
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 愛知県の三州瓦で葺かれた屋根は、まさに純和風の建築美。
 
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 瓦の先端に鳳凰が彫り込まれていて、一つだけ向きが違う・・・らしいですが、どこにあるのか分かりません
 
でした。
 
 中にはわざわざ双眼鏡を持って来て、一所懸命探している人もいるほどで、これだけでも話題になります。