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<3月18日>
 
 宮古市の被災企業への最初の訪問は2月18日でした。
 
 それからちょうど1ヶ月後の 「 3月18日 」 に2回目の訪問をし、さらにヒアリングを続けると同時に、工場も
 
視察させてもらいました。
 
 本社事務所と自宅のある宮古湾岸の中心部から、国道45号線を北へ向かいます。かつては隣り町だった
 
田老地区の水産加工団地の中に工場はありました。
 
 工場の前に立つと、数百メートル先に国道が見えます。少し高い位置にある国道の下に、浜と繋がっている
 
道が通っており、津波はここを通り抜けて来ました。海は見えないほどの距離にある団地も、20センチほどの
 
津波が到達し、工場は一時操業停止に追い込まれました。
 
 そんな津波と地震のときの話、復旧の経過、現在の状況はじめ今後の展望なども聞きながら、工場内をひと
 
通り見学し、その後田老港方面へ行ってみました。
 
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 雨の降りしきる田老港。
 
 浜は現在大工事中です。漁港というよりは、一大土木工事の現場と化していました。
 
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 この海が盛り上がって、高さ10メートル以上になって襲って来たことになります。
 
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 田老にあった防潮堤は世界最大と言われたものです。
 
 万里の長城のような防潮堤は一部破壊されたものの、一応残りました。ただし、津波は防潮堤を越えて行った
 
ため、防潮堤を信じて逃げ遅れた人を含めて多数の犠牲者が出ました。
 
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 浜の工事と、防潮堤の工事が同時に進んでいます。
 
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 かつての姿が分からないので、どの程度破壊され、どの程度復旧したのか分かりません。
 
 わかるのは、目に見える範囲は見渡す限り津波の傷跡が残されていることと、工事は行われているものの、
 
どう見てもそんなに進んでいるとは思えないことでした。