
<9月10日>
大船渡市の海岸線は、複雑に入り組んだ典型的なリアス式になっています。
「 蛸ノ浦 」 から山を越えて行けば 「 綾里 」「 恋し浜 」「 越喜来 」「 吉浜 」 といった主な地域があって、さらに
その間に小さな入り江がいくつもあります。
実際に現場へ行ってみると、TVなどでは殆んど報道されない地域が数多くあって、そういうところほど
「 手つかず 」 になっているケースが多く見られます。
「 蛸ノ浦 」 あたりまで行ってUターンし、大船渡湾沿いに戻って来ました。
楔のように深く抉られたような形の大船渡湾の中には、何か所か瓦礫置場になっています。

外海から深く入り込んだ形は、波が静かで、天然の良港といえます。
ただ津波に襲われた場合は、その湾内と沿岸部をどこまでも遡って行くことになりました。左側の外海から右側
の内陸に向けて湾の両側が壊滅的な被害を受けています。

校舎の解体現場です。
赤崎とよばれる地域で、大きさからして小学校かと思われます。
目の前が海、すぐ後ろには山が迫っている地形で、ここも3階部分のあたりまで壊れていました。見上げる高さ
で、波の大きさと威力を感じます。

解体中の学校の校舎前あたりから、湾の奥を見ると、赤白の大きな煙突と巨大な工場があります。
太平洋セメントの工場です。

大きな工場で、近くに寄ってみると、プラントの上の方が壊れているように見えます。
津波がどの高さまで来たのか分かりませんが、先ほどの校舎の壊れ具合からすると、この工場も相当
やられたはず・・・。

工場の左側、つまり海側には何もありません。
こちらは、何もかも破壊されたようで、プレハブの建物があるだけ。道路は波打ち、側溝は崩れていて、車で
走るのも注意が必要です。
それでも、大船渡を代表する企業の太平洋セメントは、いち早く復旧を果たして復興の重要な役割を果たして
います。