
<9月10日>
被災地支援で訪れた大船渡市。
商工会議所の担当者と面談し、大震災当日の模様や、その後の状況、これからの見通しなどを聞いた後、
次に市役所へ行ってみました。
大船渡市役所は、山側、高台の上にあります。狭くて急な坂道を登った丘の上で、この位置だと津波の被害は
全くありません。役場が直撃を受けた大槌町のような例もある中で、行政の中枢が無傷だった大船渡は、まだ
いい方なのかも知れません。

庁舎内を歩き回り、震災復興のための補助金などの支援制度のパンフレット、広報やお知らせなどの街の
情報を集めて回りました。
もう一つの目的は、復興に向けた街づくりのマスタープランのようなものを見たかったので、復興対策室を
覗いてみましたが、皆さん忙しそうに立ち働いているのを見て、部外者が声を掛けるのは憚られました。それ
ではと、都市計画課へ行って、今後の都市計画図か土地利用計画を閲覧しようとしたものの、“ 大船渡市民
以外はダメ!” とのことで諦めました。
階段を上がり、屋上へ出ると、大船渡市の市街地が一望に見渡せます。

正面に見えている山並みとの間を 「 盛川 」 が流れています。
赤と白の大きな煙突は 「 太平洋セメント 」 と思われます。
良質な石灰岩が産出することで、セメント工場が発達した大船渡。その象徴が太平洋セメントで、この大企業
も津波の被害を受けながら、いち早く復旧を果たし、瓦礫の処理はじめ復興の先頭に立っているようです。

市役所玄関の脇に 「 市民憲章 」 が掲げられていました。
左側にあるのは市のシンボルで、市の花 「 つばき 」、市の木 「 まつ 」、市の鳥 「 うみねこ 」 でしょうか。

市役所から坂道を下り、盛川を渡って対岸へ出て、太平洋セメントの工場脇を通って、海岸線を南へ走り
ました。
「 上蛸ノ浦 」 のバス停のところで、車を停め、海を眺めます。
堤防が破壊されていて、地盤沈下のせいでしょうか、内側に水がたまっていました。

海を正面にして、この海が大きく盛り上がって、襲いかかってきたときのことをイメージすると、自分自身の存在
のちっぽけさのようなものを、ヒシヒシと感じます。
「 蛸ノ浦 」 という場所は、大船渡に来て初めて知りました。メディアでも報道されることは殆んどないと思われ
ます。リアス式の複雑な地形を持つ三陸海岸は、こういった 「 無名 」 に近い小さな湾や入り江が無数にあって、
そこにも集落が存在します。そして、それらの集落の殆んどが例外なく津波の被害を受けたことが、現地に
立てば良く分かります。
そして哀しいことに、規模の小さい集落ほどいまだに 「 手つかず 」 の状態になって、放置されているように
見えました。