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<2月20日>
 
 「 沖縄平和記念資料館 」 は、沖縄の民家が折り重なるように連なっているようなイメージの外観です。
 
 琉球に住んでいた先人たちは、平和を愛し、海を渡ってアジアの諸国と交易を結びました。
 
 そんな沖縄の地が、1945年3月末から、90日間に及ぶ 「 鉄の暴風 」 によって惨状と化しました。太平洋
 
戦争で、唯一、一般県民を総動員した地上戦。犠牲者は20万人を超えています。
 
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 平和記念資料館から、真っ直ぐに延びる歩道の先には、黒い屏風状の石の列が見えます。
 
 資料館の建物の形と同じように、「 ある1点 」 を中心に描かれた半円形の同心円状に並んでいる黒屏風。
 
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 太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して1995年に建設された 「 平和の礎 ( いしじ )」。
 
 沖縄戦で亡くなった方々を、国籍の違い、軍人や民間人の区別なく、すべての名前が刻まれています。
 
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 「 ある1点 」 の中心が見えました。
 
 海岸近くにある 「 平和の広場 」。その中央に燃えている 「 平和の火 」 が、円の中心です。ここを起点に、
 
描いた同心円の半円上に、資料館も、礎も並んでいます。
 
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 24万人を超える名前の中に、私たち家族の血を引いた人がいるはず・・・と聞いて、一所懸命探しました。
 
 妻の父方の親戚の名前とおぼしき人を見つけ、全員で手を合わせました。
 
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 「 平和の礎 」 の文字の下には、英語、ハングル、中国語で表記があります。
 
 刻銘者の数をみると ( 2011年6月23日現在 )、
 
 日本人 226,560人( うち沖縄県人 149,233人、沖縄県外 77,327人)、米国人 14,009人、英国人 82人
 
台湾人 34人、北朝鮮人 82人、韓国人 365人、という内訳。沖縄県外のうち、なぜか北海道だけが1万人を
 
越えていて二番目の福岡県 ( 4,028人 ) の倍以上になっています。
 
 沖縄の海の色のような、青い花束が二つ、献花されていました。