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<2月19日>
 
 沖縄、恩納村の 「 琉球村 」 を後にして、国道58号線を南下しました。
 
 お昼を食べて、村内をひと回りし、午後1時からのエイサーのショーも堪能してからのドライブ。車内は全員
 
「 爆睡 」 状態。
 
 運転している私だけは居眠りする訳には行きません。読谷村を通り、嘉手納町へ入って58号線の途中から、
 
左折して県道74号線へ・・・、ちょっと寄り道をすることにしました。立ち寄ったのは 「 道の駅かでな 」。
 
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 車内からは誰も降りて来ません。爆睡状態継続中。
 
 道の駅の駐車場横に、一瞬、松尾芭蕉かと見間違えるような銅像がありました。「 野國総管之像 」 と記されて
 
います。
 
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 「 甘藷伝来 」 に関わったのが 「 野國総管 」 という方のようです。
 
 「 甘藷 」 つまり 「 サツマイモ 」。
 
 1604年ですから今から408年前、中国が明の時代だった頃、野國さんという方が琉球王国にサツマイモの
 
苗を持ち帰ったんですね。日本のサツマイモのルーツが、ここにありました。
 
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 試しに、3階建ての道の駅の屋上に上がってみて、ビックリ!嘉手納基地の全体が一望に見渡せます。
 
 慌てて、もう一度駐車場まで駆け戻り、爆睡中の妻や娘たちを叩き起こしました。
 
 “ スゴイ!のが見えるから、まずおいで!”
 
 眠い目をこすりながら、渋々ついて来る連中を引き連れて、再び屋上へ。
 
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 面積約20㎢、3700mの滑走路2本を有する、極東最大の空軍基地が目の前に横たわっていました。
 
 滑走路は成田空港や関西国際空港に匹敵し、面積では日本最大の空港である羽田空港の約2倍あるそう
 
です。かつては、スペースシャトルの緊急着陸地にも指定されていた、事実上日本最大級の空港。
 
 私は25年前に、この基地の中に入った経験があります。当時お世話になった地元商店街関係者のご厚意で、
 
基地の正面ゲートから入り、車で敷地内を一周したあと、巨大なフードコートで米軍の兵士たちに混じって食事
 
をしました。あのときは、ジャンボジェットより大きい輸送機や巨大なヘリコプター、ショッピングセンターから
 
映画館まである施設に目がテンになった記憶があります。
 
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 上から眺めてみると、高い塀に囲まれた基地の施設に、隣接して民家が並んでいるのがよく分かります。
 
 普天間基地の問題で、いまだにすったもんだしている状態の日本。でも、この嘉手納の存在感を目の当たりに
 
すると、基地問題の奥深さと難しさを肌で感じることができます。
 
 このあと、せっかくだからと、基地を取り囲むフェンスに沿って車を走らせてみました。行けども、行けども延々
 
と続くフェンスと周辺に漂う 「 アメリカの臭い 」。県道74号線は、そのまま旧コザ市 ( 沖縄市 ) に入ります。