
<1月5日>
箱根登山鉄道のポイント故障という想定外のアクシデントに 「 恵まれ 」、私たちは、まず降りることはないで
あろう 「 大平台駅 」 で強制的に途中下車することになりました。
代行バスが到着するまでの間、バス停に律儀に並ぶ乗客たちを尻目に、私はあっちへウロウロ、こっちを
キョロキョロ・・・。駅舎のすぐ隣りは神社になっています。

鳥居の表示を見れば 「 山神社 」 ですが、解説板によると 「 山神神社 ( さんじん じんじゃ )」。舌を噛み
そうな名前の小さな祠です。

戦国時代にはすでにあったといわれる、大平台の鎮守様。創建の年代は不詳のようです。
こんな神社 ( なんて言っては失礼ですが ) でも、それなりの歴史や曰く因縁があります。ただ、それはいいと
しても、ちょっと理解に苦しむものを見つけました。

金網をかぶせられた狛犬です。
応急的にかぶせたものではなく、形も綺麗に整えた、意図的に造ってかぶせたもの。これは何の意味?一体
何から狛犬を守っているのでしょう?

向き合った狛犬、両方にかぶせられています。
雨風ではないし、鳥の糞でもなさそうだし、人間のイタズラから守っていると考えるのが素直だとは思い
ますが、それにしても・・・“ こりゃぁー、ないんじゃない?” かぶせられた狛犬サンの方が可哀そうで、
息苦しそうです。

山神神社の向こう側には、こんな由緒正しい空き地もありました。
「 大平台分教場跡地 」 こんな説明です。
【 明治5年(1872)、学制が発布され、翌6年6月、底倉学校が、宮ノ下の常泉寺を仮校舎として開校され
ました。明治27年、底倉学校は、尋常温泉小学校と改称され、仙人台に校舎を新築、移転しました。
しかし、崖崩れが相次ぎ、学校敷地として不適切であり、また、義務教育6年制のなどにより増加する
児童を収容しきれないなどのために、明治44年、ふたたび校舎は底倉へ移転されました。同時に、
宮ノ下まで通えない児童のために、大平台353番地に大平台分教場が設置されました。敷地41坪、
児童数50名でした。】
昭和33年に廃校となるまで、この分教場へは多くの箱根の子供たちが通ったことでしょう。
この 「 箱根温泉小学校 」 の方は、平成20年に廃校となるまで長い歴史を積み重ねて来たそうです。いい
名前ですね 「 温泉小学校 」 なんて。聞くだけで、ほっこり、して来るような感じ。
そんなことを知ったのも、大平台駅強制途中下車の副産物でした。