あけまして、おめでとうございます。
 
 年末に豪雪となり、平年以上の積雪となりました。大みそかから、元旦にかけては雪もおさまり、穏やかな
 
年明けを迎えています。本年もよろしくお願いいたします。
 
 新年最初の記事を何にしようかと考えましたが、やはり 「 忘れてはならない 」 ことを記録しておくことに
 
します。昨年11月に訪れた被災地宮城県の話を続けます。このことを、今年最初の話題にして、思いを新たに
 
したいと思います。
 
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<2011年11月5日>
 
 南三陸ホテル観洋で、豪華な南三陸丼に舌鼓を打ったあと、海岸線を走って町の中心部へ入りました。
 
 そこにはもう、見渡す限りの荒れ果てた光景が拡がっていました。とくに衝撃的だったのは 「 公立志津川
 
病院 」 のあまりにも凄惨な姿。海からの距離は、数百メートルぐらいですから、大津波の直撃を受けました。
 
入院患者の約7割、職員も含めれば75名もの尊い命が奪われた現場です。
 
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 病院の向かいにあって、これまた壊滅的な被害を受けたのが 「 サンポート 」 という看板の大型店。
 
 おそらく、スーパーマーケットをキーテナントとしたショッピングセンターだったと思われます。病院と店舗と、
 
南三陸町志津川の街の核的な存在だった二つの建物が、巨大な廃墟になってしまいました。
 
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 次に訪れたのは 「 南三陸町 防災対策庁舎 」。
 
 ここも、海から500メートルぐらいの位置。骨組しか残っていません。
 
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 “ どうなれば、こんな壊れ方をするのだろう・・・?”
 
 基礎と躯体の鉄骨が相当丈夫で、波に洗われた壁だけが破壊されたものと思われます。ただ、中にいた
 
人たちはひとたまりもなかったはず。
 
 最後の最期まで防災無線に向かって避難を呼びかけ続け、犠牲になった女性職員の話。Youtubeにアップ
 
された、この建物の屋上から撮られた大津波の衝撃的な映像が、記憶に蘇ります。
 
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 祭壇が設けられていました。
 
 全国各地からのメッセージ、多くの方々からのお供え物が、被害の大きさと、衝撃の大きさを如実に物語って
 
います。
 
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 私たちが訪れたときも、入れ替わり立ち替わり訪れる人がありました。
 
 あの日から8ヶ月経った南三陸の被災地には、花が咲き、ススキが生え、雑草に覆われつつありました。
 
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 もうひとつの衝撃。
 
 車に戻ろうとして、フト目が止まったのは、青い小さな看板です。
 
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 「 昭和35年5月24日 チリ地震津波水位 2.4m 」 の看板です。
 
 チリ地震津波から50年余り、大きな被害を受けた経験をもとに住民を啓発して来た看板が、無残にもなぎ
 
倒されていました。骨組みだけの防災対策庁舎と、その前に横たわる津波警報看板・・・言葉を失います。
 
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 さらに車を走らせて行くと、セブンイレブンの店舗がありました。仮設です。
 
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 トイレも仮設です。
 
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 店舗の内部。ほぼ通常の店舗並みの品ぞろえにはなっています。
 
 違うのは棚の高さ。かなり低い。意図的なのか、やむなくなのか、店内にいる人の動きがすべて分かるように
 
工夫されているのかも知れません。
 
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 このあたりも、津波にやられて、周囲には何もなくなっています。
 
 山肌を見れば、数メートルの高さまで波が来たことが分かります。そんな中で、仮設とはいえ、コンビニの店舗
 
は初めて見ました。セブンの対応の早さに、少しホッ!とする気持ちでした。