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<11月5日>
 
 宮城県岩沼市新浜、海のすぐそばには緊急工事のお知らせの看板が立っていました。
 
 仙台湾南部沿岸の二の倉工区。津波で壊れた堤防の復旧工事を請け負っているのは、奥田建設、野村
 
建設、春山建設など。盛土をして、コンクリートブロックで固め、大型の土嚢を積んで堤防を補強しているのです
 
が、土曜日のせいか工事の音は聞こえず、静まり返っていました。
 
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 湾に沿った道路を、海の間の砂地に並んでいるのは、津波で被災した車です。その数、おそらく数百台・
 
 形の残っているものが多く、積まないで平置きにしてありますが、もちろん使いものにはならず、ただただ、
 
いつの日かスクラップになるのを待っているだけ・・・。この中の車に乗ったまま命を落とした人もいるかと思うと、
 
直視することも憚られました。
 
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 浜辺まで走って来た道を戻ろうとしたとき、大小の石がかたまっている場所があり、よくよく見ると、仏像のように
 
見えたので、車を停めて近づいてみました。
 
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 被災した仏像です。見るも無残・・・。
 
 胴体だけが残った小さな仏像、姿は綺麗ながら哀しげな表情の仏像、後ろには倒れた大きめの仏像と石碑。
 
 【 妙法一乗延典六十六部之霊 】 という文字に見えます。南無妙法蓮華経、すなわち日蓮宗の系統と思われ
 
ます。寺院か道場があったんでしょうね、建物は完全に破壊されて跡形もなく、石仏と石碑だけがかろうじて現地
 
に残ったものと思われます。
 
 仏像は、津波に襲われて、この姿で残ったとは思えません。流されて胴体だけが残っているのを見つけられて
 
元の場所に戻されたのではないでしょうか?津波の犠牲者たちの姿とも重なって、心が痛みます。
 
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 岩沼市の 「 海浜公園 」 があった場所です。
 
 心地よい海風を浴びて、子供たちが走り回っていたであろう 「 海浜緑地公園 」。壊れた門扉に鎖が掛けられ、
 
「 閉園 」 というよりは、公園自体が消滅していました。
 
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 倉庫かも知れませんが、空気抜きか明かり取りの小さな屋根が付いているところを見ると工場でしょうね。
 
 ここも、かろうじて外壁と屋根だけは残っていますが、内部は壊滅的状況。津波の威力の大きさが分かり
 
ます。
 
 阿武隈川が太平洋にそそぐ広大な平野に開けた亘理町や岩沼市は、海岸線から相当内陸に入った場所まで
 
津波の被害が及び、本当に見渡す限りの荒れ野原になってしまっていました。