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<9月20日>
 
 立て続けに 「 休館日 」 の表示で、美術館も旧日銀支店長宅も見学できず、雨も強くなってきて、中心街へ
 
戻ろうとしていた途中。
 
 「 どっぺり坂 」 という、ユニークな名前の由緒正しい坂を降りて来たあたり・・・「 新潟小学校 」 がありました。
 
 これも相当珍しい名前・・・だと思います。新潟の新潟小学校ですから、東京の東京小学校、大阪の大阪
 
小学校、沖縄の沖縄小学校みたいなもの。そこまで行かずとも、仙台の仙台小学校、横浜の横浜小学校、
 
札幌の札幌小学校みたいなもの。このうち実在する学校は、果たしていくつあるんでしょう?
 
 新潟県新潟市新潟市立新潟小学校。ありそうで、なかなかない、珍しい名前の小学校。
 
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 その小学校の向かいにあったのが、やけに立派な門構えと、広大 ( そうな ) 敷地に、豪華な建物の家。
 
 「 泉田裕彦 」 という名前を見て、フト立ち止まりました。
 
 前夜、久しぶりに再会し一献傾けた新潟市のN女史。そのときの会話に出て来た名前です。おそらくここは、
 
新潟県の知事公舎・・・かもしくは、泉田知事の実家?まぁ、普通に考えて知事公舎でしょうね。校舎の向かいに
 
公舎。
 
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 そのへんの歩道にあった表示も珍しいものでした。
 
 矢印の形をしたプレートが埋め込まれてあって、「 日本海 700M 」 の表示。これは何のためのプレートなん
 
でしょう?地震による津波が起きたときに、海まで700Mしかないことを知らせるためでしょうか、それとも大火や
 
何か市街地に不測の事態が起きたときに、日本海まで逃げるときの目安?意味は分かりませんでした。
 
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 更に緩やかな坂道を下って行くと、左手に警察署や日銀が見えるあたりの反対側。ビルの陰に隠れるように、
 
小さな公園があり、どことなく窮屈そうに座っている男性の像がありました。
 
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 これが意外にも超有名な人でした。
 
 「 荻野久作 」、明治15年 ( 1882 ) 愛知県生まれ。横にあった解説表示を見てビックリ!あの 「 オギノ式 」
 
の産みの親。
 
 東大医学部を卒業後、新潟市の竹山病院の産婦人科医長に招かれた荻野先生は、当時解明されていな
 
かった女性の排卵時期の研究を行いました。後年、この研究が 「 オギノ式 」 として避妊法として広まります。
 
でも、実際のところ荻野先生は、自分の研究はむしろ不妊治療に役立てて欲しいと願っていたようです。
 
 他にも子宮がんの手術方式を改良するなど、産婦人科治療に多大の功績を残し、昭和50年(1975)没。
 
 この像の前の通りには 「 オギノ通り 」 という名前もついています。