地震直後でも、比較的繋がっていたのはツイッターだそうです。
私はモバイル・パソコンが常に繋がっていたので、ネットで情報を閲覧しながら、ブログの更新もできました。
停電の中でも、ラジオとネットで相当の情報を得ることができたことは、安心感にもなっていたような気がします。
TVの報道を見ていると、津波で家を失った家族の方が、自分たちの想い出の品、とくに写真を探して歩く姿が
よく出て来ます。写真は家族の想い出であり、生きた証でもあります。泥まみれになった写真を見つけて、丁寧
に拭き取り、乾かして飾り直しています。
いまの時代はネット上にアルバムを作ることができるので、普段から、大切な画像はネットに放り込んで
おけば、こういう場合は残っていることになります。便利になったものだと、改めて思います。
ブログもそうですね。
日々更新しているブログも、ネット上には、ある意味永遠に残る。そしていつでも検索して、自分の 「生きた証」
を振り返ることもできる。消えない公開日記のようなものです。
宮崎の話を続けます。

<1月18日>
宮崎平野の 「 切り干し大根 」 づくりを見学したあと、本来の視察先である 「 平和食品工業 」 へ戻りました。
会社は、いたって地味。古い平屋の建物に、シンプルな看板が一つ掲げられているだけです。
東国原知事が就任して有名になったものの一つ 「 炭火焼き地鶏 」 の加工工場です。

人員表も至ってシンプル。
「 加工場 」「 やきとり 」「 たまご 」「 出荷 」 の4部門。カラーマグネットに名前を書いて、それをペタペタ貼って
動かすだけ。シンプルですが、分かりやすく、使いやすい。

視察のメンバーは約20人ほどいましたが、工場が狭く、一度には中に入れません。
半分に分けて、一方が工場見学をしている間に、もう一方は事務室で社長の話しを伺うことにしました。私は
先に工場見学へ。
食品を扱っている工場ですので、まず白衣と帽子を被ってから中へ入ります。