大震災後、ガソリン不足もあって、ずっと車は使っていませんでした。メーターの残量は7割ぐらいあったので、
 
不要不急以外は車を動かさずに、不便でも電車移動で凌いで来ました。
 
 今日は久しぶりに車で出張。往復100kmほど走って来ました。
 
 同じ県内でも、地域によってガソリン事情が違います。私の自宅のある市内は、給油に列をなしている光景は
 
見られなくなりつつありますが、市内を出て他の地域へ行くと、あちこち閉店しているスタンドが目に付き、営業中
 
のスタンドには長い行列ができていました。
 
 スーパーやコンビニの品不足は、まだ解消されていません。
 
 それでも震災から10日以上経過して、何となく落ち着いて来たような空気があります。当面の危機的状況は
 
越えたのかも知れません。
 
 それにひきかえ、被災地の状況、とくに原発の周囲はまだまだ大変な事態に変わりはなく、放射能問題が
 
深刻化して来ました。こればっかりは、自分たちに何ができるか?と問うても、なかなか妙案が浮かびません。
 
 事態を見守りながら、決死の覚悟で作業に当たる方々を心の中で応援するぐらいしかできません。
 
 日本橋の話は、赤坂へと移ります。
 
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<3月5日>
 
 東京駅からメトロリンクで日本橋へ向かい、架橋100周年を迎えた日本橋界隈を歩き廻りました。
 
 この日上京したのは、夕方5時に開演するイーグルスの日本公演を見るため。
 
 日本橋をウロウロしているうちに、時間はもうお昼近くになりつつありました。そこで、まずは荷物を置きに
 
ホテルへ向かうことにして、地下鉄銀座線で赤坂見附へ。
 
 地上に上がり、弁慶濠にかかる弁慶橋を渡って、この日の宿に向かいました。今回は少々奮発して、
 
ホテルニューオータニ。入口にあるホテルの名前も、ピカピカ。鏡のようになっています。
 
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 ニューオータニといえば、すぐに目に浮かぶのは、あの円形の帽子のような形。
 
 でも、赤坂側から入ったため、こちらは綺麗な高層ビル。ガーデンコートとガーデンタワー側です。
 
 “ ちょっと、イメージ違うなぁ・・・” と思いながら、中へ入りました。
 
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 ホテルの目の前には、これも見慣れた形の高層ホテルが聳えています。
 
 かつて 「 赤プリ 」 の愛称で呼ばれた 「 グランドプリンスホテル赤坂 」 です。屏風のような、段々になった
 
形の超高層ホテル。丹下健三設計、40階建てのこのビルは、首都高速を走るとよく見えます。
 
 毎月のように上京し、車の助手席に乗って首都高を走りながら、このビルを見上げた頃のことを想い出します。
 
 あれから、もう20年近くの歳月が経とうとしています。そして、このランドマークのような 「 赤プリ 」 の建物も
 
取り壊される運命にあります。